Interview with a leading creator vol.18

2014.11.06

クリエイターインタビュー

Interview with a leading creator vol.18

Interview with a leading creator vol.18
Yoshimasa Hoshiba /Fashion Director
トップクリエイター・インタビュー vol.18

干場義雅(『FORZA STYLE』編集長/『Sette Mari』編集長/ファッションディレクター)




今回のゲストは、『FORZA STYLE』や『Sette Mari』の編集長として、またファッションディレクターとしてテレビやラジオでも活躍する干場義雅さん。世界のブランドを熟知しているからこそ日本の職人技の素晴らしさにも注目している干場さんは、自らがプロデューサーとなって日本発のラグジュアリーブランドを作る夢を熱く語ってくれました。



――干場さんは、ご実家が三代続くテーラーだったんですよね

ええ、そうなんです。僕自身は継がなかったのですが......。というより、「3万円でスーツを売るような時代が来たから、30万円を超えるようなスーツなんていうものが売れる時代は終わる。お前は継ぐな!」と父に言われたんです(笑)。1階が工場で、2階が住居という環境でしたから、長さ10m、厚さ15cmぐらいある木の場板の上に、ミシンが並ぶ工房が小さい頃の遊び場でした。着るものに興味を持ち始めたのは、幼稚園を卒業する頃からですかね。小学校入学のときに、父がガッチリした硬めの英国生地で、しかもダブルストライプのもので、ダブルのスーツを仕立ててくれたんです。長ズボンと半ズボンの両方を用意してくれたんですけど、なぜか当時は半ズボンの方がお気に入りでしたね。長ズボンの方は、微妙に裾がフレアしていて、それがなんか気持ち悪くて......(笑)。小学校2、3年生になるとスニーカーやスポーツウェアが流行って、ナイキ、アディダス、プーマとか、いろいろ欲しくてしょうがなかった。親に「足がデカくなった」って嘘をついては、新しいスニーカーを買って貰っていました(笑)。高学年になると、女子の目が気になり出して。少しキレイな格好が好きになっていきました。白いケーブル編みのローゲージニットとか、チェックのシャツとか、チノパンとか(笑)。ちょっと、いいとこのお坊ちゃんみたいな格好をしてました。


――今の干場さんのスタイルや仕事に大きな影響を与えたものは何だったのでしょう?

中学生の頃、のちにパリコレクションを開くような伝説のブランド「ナンバーナイン」を立ち上げたデザイナーの宮下貴裕君と出会いまして。それはそれは大きな影響を受けましたね。宮下は、とにかく本当にセンスがよくって。カッコいい着こなしの先端を行ってたんですよ。中学生なのに、めちゃくちゃセンスいいんですよ。しかも、彼は顔が外国人みたいで(笑)。安全靴やレッド・ウィングのブーツをボロボロにして履くとか、古着のリーバイス501を腰履きにするとか、なんてことないヘインズの白いTシャツを腕捲りして着るとか......。世間で流行る5年も前からすでに実践していた。話がめちゃくちゃ合うし、すぐに意気投合して仲良くなって。いつも2人でショップ巡りをしていました。アメ横、渋谷、原宿、新宿、池袋、高円寺、知らない店はないっていうくらい、洋服屋に行っては物色してました。そのうち、宮下はどんどん不良っぽい着こなしやファッションになっていき。僕は逆に、つまりシンプルで、ある意味トラッドで普通のファッションを好むようになっていったんです。というか、宮下みたいに不良っぽい格好をしても、僕は全然似合わなかったんです。「よっちゃんは、トラッドの方が全然似合う」って宮下からも言われてましたから(笑)。


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――今日の着こなしのポイントは?

このスーツは、2年前ぐらいにビームスでオーダーメイドで作ってもらったものです。バイヤーの無藤さんにお願いして、トップクオリティのカシミア生地を用意して頂き、作ってもらいました。ネクタイはエルメスのものです。ニットタイにしては、めちゃくちゃ高くて......。4万円超えていたと思います(笑)。ま、黒のニットタイは長く使えるから、納得して買ったんですけどね。シャツは、最近はカミチャニスタかデッコーロしか着ません。実は6,000円と非常にお手頃なんです。ネクタイの4分の1の価格(笑)。白シャツは白いまま着たいから、消耗品として数を揃えたい。だから6,000円でいいんです。高価なものと手に入れやすいもの、長く使うアイテムと入れ替えていくアイテム、その両方を組み合わせる「エコノミック・ラグジュアリー」、略してエコラグが、最近の僕のスタイルでしょうか(笑)。「エコラグ」っていうのは、エコノミック・ラグジュアリーの略。economic luxury。極めて経済的なんですが、上質さやエレガンスは失わないスタイルの意味。「多くの粗悪なものより少しの良い物を」という僕の哲学により生まれた造語です。腕時計や靴・鞄、スーツのように長い年月使えるものは高額でも、白シャツや白無地のTシャツのように常に白いまま清潔に着たい消耗品は、高額なものよりもコストパフォーマンスを重視するというスタイル。パテック・フィリップの腕時計やジョン・ロブの靴と、カミチャニスタやデッコーロの白シャツ、GAPの白無地のTシャツは僕にとっては同じ。一点豪華主義とも違う。僕が敬愛するブルース・リー先生が提唱した無駄を排した最短の動き(エコノミック モーション)で相手を倒すジークンドーのように、経済的で盛り過ぎない、かつ無駄のないシンプルで上質なスタイルを指す新語なんです。


――干場さんは『エスクァイア』『レオン』『オーシャンズ』など、雑誌編集者として長年活躍されてから、いまは雑誌やウェブマガジンの編集長としてだけでなく、ファッションディレクターとしてテレビやラジオに出演されたりしています。環境の変化はありましたか?

出版社の編集者時代は、一応社員だから会社に守られているわけで、大きな船に乗っているようなものですよね。多少の波では揺れも感じずに済みました。でも独立したら一寸法師状態で......(笑)。箸でお椀の舟を懸命に漕がないと転覆しちゃうから、毎日が必死でした。だからこの4年間、ほとんど仕事を断ったことがないんです。お陰さまで雑誌はもちろん、テレビやラジオ、新聞、イベント、インターネットとさまざまなメディアで仕事をさせて頂けるようになりました。「編集者なんだから、編集者として雑誌だけやってればいいじゃん」みたいなことを言う人もいますが、僕は気にしません。自分の人生は一度しかないので、好きなことをいろいろとやってみたいと思っています。


――以前は雑誌(メディア)があっての干場さんでしたが、今は干場さんご自身がメディアになっていますよね?

さまざまなメディアを経験させて貰ったことで、上手くスキルアップできたような気がしています。いまは結果的に、自分の思いやスタイルを全包囲網的に伝えることができるようになりました。「エコラグ」の考え方も、あらゆる場で発信していこうと思っています。


――干場さんがクリエイティブディレクターを務めるバッグブランド「ペッレ モルビダ」も好評ですね?

街を歩くと、目立つのは海外ブランドのロゴばかりじゃないですか。海外ブランドが黒船だとしたら、メイド・イン・ジャパンの白船が海外へ進出したっていいはずだと思ったのがきっかけでした。「ペッレ モルビダ」のコンセプトは、だから船なんです。それも、船旅。船のマークを白にしたのも、実はそんな想いが込められているからなんです。


――これまで出会った日本のもので、「海外に進出させるならこれ!」という風に思ったものはありますか?

例えば「hide kasuga」というメーカーのソフトカーボン素材があって、これを使ったiPhoneケースや名刺入れの仕上がりがとても美しいだけでなく、機能性にも優れているんです。この前は、日本の小さな工房で作っているカシミアシルクのストールに出会いました。品質がずば抜けていて、手触りがめちゃくちゃいいんですね。でも、その製品は海外の某有名ブランドが仕入れて、卸値よりはるかに高い価格で販売していると聞きました。そのまま日本のブランドとして発信できれば、消費者はいいものをもっと適正な価格で手に入れられるのにと、少しやりきれない思いがしましたね。


――日本の職人技は世界的に見ても優れているのに、ブランド力がまだまだ足りないということですね?

北海道から沖縄まで、日本中には素晴らしい職人さんがいるけれど、ブランディングができていないんです。優れた職人技を串刺しにして一本に繋げる、センスのいいプロデューサーがいれば、日本からも世界に通用するラグジュアリーブランドができると思うんです。「本当にカッコいいのはこっちです!」みたいな旗振り役が必要なんですよね。例えば、イタリアで言うなら、ジョルジオ・アルマーニは、自国イタリアの美意識をいろいろなアイテムで表現しているじゃないですか。ファッションはもちろん、ホテルからレストラン、家具、石鹸に至るまで。イタリアの理想的なラグジュアリーなライフスタイルを全包囲的に具現化させましたよね。彼は、自分のブランドを発表したのは40歳を過ぎてから。それまでは百貨店のバイヤーだったり、社員デザイナーとして会社務めをしていたんです。僕は今41歳ですが、これからもう少し、自分のスタイルを貫くようなクリエイティブな方向に舵取りできたらいいなと模索しています。


――干場さんは、エストネーションや和光といったセレクトショップで服のプロデュースもされていますが、これからはそうした活動がファッションに限らず、ますます増えそうですね?

今度、シューデザイナーの坪内浩さんとコラボして、靴を発表するんです。「DOUBLE H」というブランドで、めちゃくちゃカッコいいですよ。ぜひ、楽しみにしていてください。


――最後に、日本のものづくりに携わっている方達に向けて、ひと言頂戴できますか?

さっきプロデューサーが必要といいましたが、僕自身そうなれるように頑張って行きたいと思っています。もっと自信を持って、もっと世界に向けて発信できるような存在になっていけたらいいですね。一生は一度きりですからね。「死んだら天国に行ける!」なんていう話をする人もいますが、死んだら死ぬだけ。天国にも行かないし、地獄にも行かない。好きな人や好きなことに巡り会えたり、楽しい仕事が出来たり、美味しい食事が食べられたり、夢を叶えられたり、いろんな場所に行けたり......。実は、天国は今だと思っているんです。天国ナウ説(笑)。一瞬一瞬を大事にし、周りに大切にし、信頼出来る仲間と大きな夢を掴み取りたいんです。自分一人でお金持ちになるのも嫌。それは寂しい。一緒に、同じ感覚を共有出来る仲間とお金持ちになって、モナコのモンテカルロとか、船の上で乾杯。そんな50歳を目指して頑張ります。


Text_Kiyoshi Shimizu(lefthands) Interview_Shigekazu Ohno(lefthands) Photo_Isamu Ito(lefthands) 


【プロフィール】

干場義雅(ほしば よしまさ)/『FORZA STYLE』編集長/『Sette Mari』編集長/ファッションディレクター

『POPEYE』でモデルやBEAMSで販売を経験後、出版社へ。『MA-1』『モノ・マガジン』『エスクァイア日本版』などの数々の編集を経て『LEON』の創刊に参画。「モテるオヤジ」や「ちょいワル」などの一大ブームを作る。その後『オーシャンズ』を創刊し、副編集長 兼 クリエイティブディレクターとして活躍。 2010年独立。「移り変わる流行よりも普遍的な美しいスタイルを」「多くの粗悪な物ではなく少しの良い物を」という哲学を掲げ、2012年人やブランドを素敵にする株式会社スタイルクリニックを設立、代表取締役に就任。フジテレビ『にじいろジーン』の人を素敵に変身させるコーナーやテレビ朝日『グッド!モーニング』のファッションチェックのコーナーなど、テレビ番組でもおなじみ。ANAの「旅するジェントルマン」の監修や、FM TOKYOではラジオ番組『SEIKO ASTRON presents World Cruise』のメインパーソナリティも務める。船旅を楽しむ成熟した大人に向けたブランド「ペッレ モルビダ」「エスプローラ」のクリエイティブディレクターでもあり、ブランドや商品プロデュースも行う。2013年には船旅を愛する男女誌『Sette Mari(セッテ・マーリ)』の編集長として、また2014年秋からは「女性の本音が日本の男をもっと格好良くする」をテーマにした新しいウェブメディア『FORZA STYLE』の編集長に就任。新聞、テレビ、雑誌、ラジオ、トークショー、イベントなど、その活動はメディアの枠を越えて多岐に及ぶ。