北アルプスや中央アルプスに囲まれた岐阜の地は自然の豊かさで溢れています。
日本の中心部に位置する岐阜県の南にある焼き物の街、岐阜県土岐市。水道の蛇口をひねれば清らかな水が流れ、銘湯も顔を連ねる温泉地ですが、一番の魅力どころは、人間によって築き上げられたこの地の焼き物文化です。
 
約1300年前にもさかのぼる飛鳥時代、須恵器と呼ばれる土器が焼かれたことがこの地の焼き物文化の始まり。志野、織部、黄瀬戸など日本を代表する焼き物が生まれ、歴史が色濃く残るのが土岐市内です。現在も200以上の窯元が多くの焼き物文化を支え、そんな焼き物史の中心の地に陶芸家、青木良太氏の工房はあります。
青木氏は、今年9月、六本木ヒルズ A/Dギャラリーにて「崩壊」「誕生」「増殖」をテーマに個展を発表。「土」という大地の恵み、地球のカケラを扱う陶芸家ならではの発想で、惑星や生物、細胞を表現しています。
陶芸の真価である姿を表現し、強烈な異彩を放つ陶芸家、青木良太という人物がこれまで何に触れ、そして現在どんな想いで陶芸に励むのか。青木良太という陶芸家に迫りました。
 
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|ブラザーの中古1万円ミシンから始まった表現世界
 
――まず、はじめに青木さんはどんなきっかけで陶芸家を志したのでしょうか。深くさかのぼると、どんな幼少時代だったのですか?
 
どんなんだったんだろう、イタズラばっかりしていたんじゃないですかね。不良じゃないんだけど悪ガキみたいな。育った富山の環境は土岐とは違って普通に住宅地でなんでもないところでしたよ。小さい頃は焼き物に一切興味がなくて興味が出たのは大学を卒業する前の焼き物をはじめた時でした。
 
――小さい頃は焼き物に触れた記憶はなっかたのですね。
 
ひとつも興味がないですね。小さい頃、興味があったのはドラゴンボール(※1)でしたから!ドラゴンボールとドラゴンクエスト(※2)がいちばん好きですからね。
僕がいちばん影響を受けているのは鳥山明(※3)先生。それしか思い当たらない。物心ついたときからマンガ家になりたくて絵ばっかり書いていました。
 
※1 鳥山明による日本の漫画作品。週刊少年ジャンプ(集英社刊)にて1984年から1995年まで連載された大人気アニメ
※2 スクエアフェニックスが発売するファミコン用ロールプレイングゲーム
※3 代表作品に「ドラゴンボール」、「Dr.スランプ」などを持つ日本の漫画家。
 
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――そこから青木さんが陶芸の道へ進んだきっかけはなんだったのでしょうか?
 
大学のときにまず服作りをやっていて、それで時間があったから陶芸教室に行ってみたらこれだ!っていう発見があって陶芸の世界に入ったんです。
服は高校ぐらいから好きになって19ぐらいの時には自分で服をつくりたいなあと思ったんですね。それでミシンメーカーのブラザーに中古のミシンないですか?って聞きに行ったんですよ。そしたら最初ないって言われたんですけど、後で連絡もらって1万円くらいで弱・中・強しかないやつならあるって話があってそれからはじまったんです。昔、雑誌の装苑(※4)に簡単な服のつくり方っていうページがあったんですね。そこから独学で服づくりをはじめました。
そのうちに、だんだんその服を自分で売りはじめるようになったんです。自分で作った服を服屋さんへ持って行って委託で売ってもらえませんか?ってはじめたんですよ。このアクセサリーも大学の時から自分で作って着けているやつ、アロンアルファでくっついているんですけど。こういう小物も勝手に学園祭とかに行って売りさばいていたんです(笑)
 
※4 1936年創刊の文化出版局が発行するハイファッション・モード系のファッション雑誌
 
 
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――なるほどですね。服、アクセサリーと、もとからご自分で何でも作っていらっしゃったんですね。
 
たぶん手で何かを作るのが好きなんです。それで、一体何が自分の仕事に当てはまるの?というのがわからずに、いろんなことをやっていたんですね。
 
――青木さんと言えば「陶芸と心中する」という印象の強いワードがありますが、その陶芸教室で出合ったタイミング決められたわけですか。
 
そう、そこで決めたんです。陶芸をやるということを。それで職業訓練校に。
 
――陶芸で青木さんが最初に作ったのはなんですか?
 
湯呑ですよ、なんでもない。あと重い壺も作ったかな。あと僕はタバコを吸わないけど灰皿。灰皿も学園祭とかでピアスと一緒に売りさばいていましたね。陶芸教室体験仕様って(笑)
そのとき作ったものの一部は今もコレクションで残っていますよ。すごい茶色い土使った釉薬もかかっていないようなやつ。
 
――家族とかは、青木さんが陶芸家になると言ったことに対して当時どんな反応だったのでしょうか。
 
家族とかはもう反対ですよね。そんなよくわかんないものって。友達も、まあまた変なことを言っているなって感じでした。(笑)
 
 
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|陶芸家になる夢が叶った時に「陶芸」に恩返しをしたいと思った
 
――そこから現在、青木さんは陶芸業界を活気付けるため若手陶芸家を束ねるIKEYAN☆の活動をされていらっしゃいますよね。陶芸を発信する前衛的な存在であると思います。その想いは、どんな風に生まれたのでしょうか?
 
20代後半くらいかな。こんなに楽しいことがあるのにもっとみんなに知ってもらいたいなという気持ちがありましたね。で、あと僕は陶芸家になるのが夢だったんですよね、最初。その夢が叶ったときがあって次にその陶芸に恩返しをしたいなと思って。その陶芸への恩返しって何かなと思ったときに、昔に比べて陶芸の業界って廃れてきてしまっていて、やっぱり業界自体を盛り上げなきゃいけないと思って、そういうことをやりはじめたんですよ。
 
 
――青木さんがつくるものは、陶器のワイングラスなど陶芸の歴史に対して更新していくようなものだとも思います。陶芸をより俯瞰して今までになかったものをつくっていらっしゃるようにも感じます。そのあたりは、陶芸を発信することを意識されていますか?それとも自分で欲しいものをつくっている感じでしょうか?
 
自分で欲しいものをつくっているだけなんですけど、あとはアトリエに日の丸があったように日本代表を目指すために日の丸を掲げていて。最初は世界中で展覧会できるようになりたいなと思っていてその意味での日の丸だったんです。だけど、それはある時点に叶えられて。そこから意味が変わって縦軸の話になって。その千年後、二千年後に21世紀どういうアーティストや作家がいたのかという時に、あっ日本に青木良太という面白い陶芸家がいたね、ってなりたくてそれをやらなきゃいけないと思っているんです。そうなるために次に何をしなきゃいけないのかというと時代に残る作品をつくらなくてはいけない。で、それはどういうことかというと、今までの世界中の歴史になかったものを陶芸でつくらなきゃいけない。それを次の世代、その次の世代がいいねってなったら、それが伝統になるんですよ。この時代の。そういうのをやりたいなあと思って。そしたら自分が死んでもそのものが残るじゃないですか。
 
 
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|焼き物は見たこともない表情が出てくる。その素材を見れば表現が自然と浮かぶ
 
――青木さんは作りたいものや夢をどんどん叶えていってらっしゃると思うんですが、自分の中でできなかった時期や挫折経験などはあったりしたのでしょうか?
 
うーん。できなかった時期というのはあんまり覚えていないですね。
 
――自分のつくりたいものや表現がわからなくなったという経験はないですか?
 
陶芸をやり始めた頃は技術がないから、こういうの作りたいけど全然できないとかはあるけど、今は技術があるから、頭に描いたことはカタチになっているという感じです。
 
――なるほどですね。技術の高め方というのは常々轆轤を回す、仮説を立てて何度も焼成していくようなことでしょうか?
 
そう、その積み重ねですね。僕らの場合は焼かないとわからないし。分かりやすく言うと写真の現像と一緒で焼いてみなくちゃわからない感じで、研究するほど技術が上がってきます。焼き物は見たこともない表情が出てくるから面白いし、まだまだいろんなことができる可能性があるしね。
 
 
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甘い大根をどう調理して活かすかと同様。焼き物は素材までもつくり出せるから最高に面白い
 
――青木さんが作品つくる際にインスピレーションを受けものはなんですか?
 
いまは素材ですね、テストピース(※5)。さっき見せたテストピースの中にシールが貼ってあったやつがあったんだと思うんですが、気に入ったやつはシールを貼っているんだけど、それを見ながらどういう形にしようかなというのを考えたり、素材から作品を考えます。あとは土を触ってみて、この土だったらこういう風なのが作れると感じることかな。
料理の例えだったら分かりやすいかな?焼き物も甘い大根をどうしようというのと一緒。素材を生かしてあげるということね。自分は生み出すためのきっかけでしかないと思っていて、それで僕は素材をみつけてくることによって素材までもつくり出せるからまたこれ面白いなあと思っているんです。
素材を見てたらカタチが浮かびます。カタチがものによって違うから、こういう風のつくりたいなって浮かぶんです。
 
――なるほどですね。では土に釉薬を混ぜるという青木さんの手法はどんな視点からなのでしょうか。
 
白いピカッとしたうつわってレストランとかによくあるじゃないですか、あれが好きじゃなくて。だからといって釉薬がかかっていないと汚れが着いちゃうんですね。それでどうしたらいいかな?と釉薬を練りこんだらいいんじゃないかなと、そしたら新しい素材が出来たんですよ。それは学生の頃の発見ですね。
 
※5 試験片。陶芸の場合は調合の異なる釉薬をつけてテストピースを焼いて色や質感を確認する
 
 
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|いいものをつくるだけ。死ぬまでどれだけできるか
 
――青木さんは個人的に他の作家のうつわもよく買うと伺いました。
 
そうですね。和食器とか僕がつくらないうつわがありますから、良く買いますよ。
 
――どんな料理をつくられるんですか。
 
うーん、なんでもつくりますよ、料理は毎日三食作っているので。食生活も調理されているものや添加物が入ったものは食べないし、グルテンは食べないですね。体をつくることはすごく気を付けています。
 
――作品をつくる際とか神経を集中させるために気を付けていることはありますか?
 
たとえば轆轤をひいているときには集中力1時間半持たないくらいかな。それくらいで切れちゃいますね。なのでそれを終わったら違う作業したりとか。
 
――(このタイミングで青木さん宛てに宅急便が届く。外装の包みを見た途端に包装を解く青木さん。)
 
うわあ、すげえ、これ村上先生(※6)の本だ。 (青木さんのテンションMAX。大歓喜)
この人はもう最強ですよ。確実に歴史に残る人なんですけど、そういう作品を残して作っているっていう。実際それを誰よりもやっている。刺激になります、こういう先輩がいると。
 
※6 日本の現代美術家、ポップアーティスト、映画監督の村上隆。作品にはウェイトレス格好の美少女フィギュア「Miss Ko2(KoKo)」や奇妙な形態をするキャラクター「Mr.DOB」、花の中央にスマイルが描かれている「お花」などがある。村上氏は米Time誌の”The World’s Most Influential People – The 2008 TIME 100(世界で最も影響力のある100人)に選出。著書では作家は本人の死後、その真価が問われると伝えている
 
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魂入れるんですよ。村上先生は日本に芸術をもっと知って欲しいって活動されています。この展覧会「村上隆のスーパーフラット・コレクション」(※7)では全部持ち出しでやっているから何億かかっているのかってくらいなんですよ。
 
――青木さんも海を渡って活躍されており、毎年多くの個展を開催されていますがプレッシャーはありますか。
 
あんまりわかんないですね。いいものつくるだけだと思うから、そこに専念した方がいい気がする。
死ぬまでどれだけできるかですよね。
 
――青木さんにとってのいまの目標ってあるんでしょうか?
 
目標みたいのってないですね。歴史に残りたい、っていうただそれだけでしか生きてないですね。
 
※7 2016年1月末から4月に横浜美術館で行われた展示会「村上隆のスーパーフラットコレクション 蕭白、魯山人からキーファーまで」
 
 
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陶芸家 青木良太
 
1978年富山県生まれ。大学卒業後に陶芸を学び、年間約15,000種類の釉薬の研究を通じて、あらゆる陶芸作品のジャンルを拡張する。通常、陶芸で扱うことのない金、銀、プラチナ等の素材を使用し世の中にない美しい作品を生み出し続けここ数年は国内外で多くの個展を開催。ゆらぐことのない陶芸への情熱、スケールの大きさやシンプルで強い思考から生まれる作品は見る者を魅了する世界観がある。自身のHPオンラインではWeb Exhibitionを公開。前衛的で新しい手法が随所に垣間見える。http://www.ryotaaoki.com/