日本人なら誰でも一度は目にし日本の風情を感じる、瓦屋根の風景。
現在、伝統や手仕事への関心はすこしずつ高まっていますが、建築様式の洋風化が高くマンションなども増え、瓦屋根を選ぶという選択は少なくなっています。
しかし瓦の歴史は大変古く、日本書記によると6世紀ごろの古代の朝鮮半島南西部にあった国「百済」から仏教と共に伝わったとされているもの。一般家庭に広まったのは江戸時代にさかのぼります。

瓦は土でできているため、防火対策のためとして瓦の使用が奨励され助成金まで出るようになりました。寺院や仏閣などでしか使用されず、高価だった瓦の需要が一般庶民にも広がり、少しずつ浸透していったのです。

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瓦素材の特徴としては不燃や断熱、調湿性の良さ、凍害への強さ、太陽熱や雨に対する耐性などがあります。
日本が誇る機能美の結晶。そんな瓦には世界に誇れる美しさがある、そんな強い想いを抱き、あらゆる形でkawaraを表現する瓦職人、kawaraクリエイターの一ノ瀬靖博さんに出会いました。
山梨県笛吹市にある一ノ瀬瓦工業は1916年創業で今年100年目を迎える老舗瓦屋。5代目にあたる一ノ瀬靖博さんは老舗の瓦屋として職人として屋根に上がる傍ら、瓦屋根だけではおさまりきらないkawaraの魅力をもっと知ってもらいたいと感じ瓦プロダクト「icci」をスタートしました。

今回、リアルジャパンプロジェクトは身近にあるけどなかなか知るきっかけのない瓦の存在、そして一ノ瀬瓦工業、一ノ瀬靖博さんのものづくりについて迫ります。

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|瓦も焼き物のひとつ。いい粘土が採れる場所に窯元が集まる

――本日は爽やかな天気の良い日ですね。山梨の気候は晴れの日が多いんですか。

今日みたいに風が吹いてるのは稀で山梨の夏は盆地なので熱がこもって暑いです。逆に冬は乾燥していてマイナス7、8度と寒いんです。この地方は地表面が熱を放射し付近の気温が下がるので放射冷却ってよく天気予報で言われています。

――山梨はそんなにも寒い地方だったのですね。さっそくですが一ノ瀬瓦工業がある笛吹市は瓦の土が採れる地域なのでしょうか?

この辺にはもともと10社くらい窯元がありました。窯元って良い粘土が採れる場所に集まるんですよ。裏の葡萄園は地盤が1mくらい下がっているんですが瓦の為に粘土を採ってしまったからなんです。瓦というと愛知県の三州瓦のイメージがあると思うんですが、愛知県はいわゆる焼き物の瀬戸物と言われるように窯業の盛んな場所で昔から焼く技術が高かったんですね。そういう場所で作られる「三州瓦」が日本に出回るようになって山梨の瓦は衰退していったんです。ですからそういう影響もありながら山梨のほとんどの窯元が窯を閉め、現在では施工業者になっています。

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▲以前に窯があった一ノ瀬瓦工業の敷地は現在、同社の運営するカフェの駐車場になっている。そこには細かな瓦でつくられた”瓦チップ”が敷かれていて面影が残る。瓦チップは吸水性と保水性があり、水はけの良い地面になるので駐車場には最適だという


|家業は継ぐ継がないという意思よりも、終わらせられない責任感

――一ノ瀬さんは、一ノ瀬瓦工業の五代目でいらしゃるんですね。

そうです。22歳の頃に一ノ瀬瓦工業に入社しました。実は若い頃は瓦職人ではなくミュージシャンになりたいと思っていてバンド活動をしていました(笑)。音楽と出合いこんな自己表現の方法があるんだと思っていたんですね。音楽って様々な思いを持つ人、様々なシチュエーションに置かれている人たちの代弁者であって、そんな存在にすごく憧れがありました。で、音楽にハマって東京に出たんですけど、音楽活動やりながらも常に頭のどこかに家業という存在があって…。だからどうしても周りの仲間と比べると、音楽に対するストイックさとかハングリー精神みたいなものが弱いんですね。そういう仲間との温度差や、もちろん自分の才能の無さに気がつき始めた頃、どうせ芽が出ないなら音楽は趣味にして本来自分がやるべきことをやろうと、一応覚悟を決めて山梨に戻ってきました。って言っても、そのときは若かったので家業をデカイ会社にしようぐらいの考えしかありませんでしたが。

――どこかで何かを表現したい想いを持ちながら、家業を継がれたんですね。

東京で音楽活動をやっている時、必死に頑張っているつもりでもどこか帰る場所があるという意識が自分の中にあったのかもしれません。貪欲に音楽という夢を追っている人たちと接するたびに自分の居場所はここじゃないかもしれないという違和感も覚え始めました。

もともと父親にはこの仕事は暑い、寒いで大変な仕事だからやらなくていいと言われていました。大学へ行って公務員になるのがいいと。残念ながら入社してから知ることになるのですが、屋根の上の仕事の厳しさは尋常ではなく、真夏の炎天下では照り返しで瓦の温度は60度以上にもなるという…。瓦施工業とは砂漠で放浪している気分を簡単に味わえる仕事だったんです。

家業を継がないという選択肢もあったんですが、代々続くうちの家業の話を子供の頃から聞かされてきたので、家業を継ぐかどうかというプレッシャーよりも、自分の代で終わらせていいのかなって責任感のほうが強かったのが正直なところでした。

 ――なるほどですね、家業を守る当人にとってニュアンスが大きく異なりますね。

そうなんです。20代始めに家業に入ると決断したときには、まだ瓦の魅力なんて全然わかってなくて、幼い頃から父親の仕事をしている姿を見てきても、実際自分がやるまではそんなに大変な仕事だと思っていませんでした。うちの家業は瓦屋だという認識しかなかったんですね。ただ、幼い頃からいろんな人からうちの会社の歴史や逸話を聞いていましたし、地域とのつながり方や影響力の話なんかも聞いていました。だから家業を継ぐという感覚はもちろんですが、家としてのプライドみたいなものもありましたね。家業を終わりにするということは、ある意味ではそういった一族の歩んだ歴史をも終わりにすることだと思いますので。

 

――先ほどおっしゃられていた家業をデカイ会社にしようと思った直接的なきっかっけはあったのですか?

 すごくバイタリティがあった人だったと聞いています。瓦製造はもちろん、地元の議員をやったり、瓦窯を作る名人で依頼を受けて各地で瓦窯を作ったりと。山梨で唯一のトンネル窯とその工場を建てて大規模な陶器瓦生産に乗り出したのも3代目です。その頃は東京と神奈川にも支店があったようです。しかも生き方も相当派手な人だったようで(笑)。そういう話を昔から聞いていたので、漠然とこの一ノ瀬瓦工業をまた「あ!」っと言わせるような会社にしたいなとは思っていました。

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|日本人とアメリカ人では瓦の見え方が違う

――瓦職人になった一ノ瀬さんの、「瓦の魅力を広く伝えたい」という夢が叶ったプロジェクトがあったそうですね。

Japanese Tea Gate Projectというプロジェクトなんですが、名門であるイェール大学の大学構内にアートギャラリーがあるんですけどピカソ、ゴッホ、ダリ、イサム・ノグチ、日本からは伊藤若冲や狩野派など4階建ての広大な空間に古今東西の世界の名作が所狭しと並んでいるんですね。ギャラリーそのものは、建築界の巨匠ルイス・カーン氏の設計なのですが、そんなアートギャラリーの中庭に日本建築を建てるというプロジェクトが立ち上がりそこで日本からは瓦職人の僕のみが参加することになりました。その他の担当は、それぞれ現地の職人さんの手によるものなんです。

――プレッシャーに感じます。参加に繋がるきっかけはあったのですか?

カルフォルニアに住んでいる知人から以前にお寺を建てることについて相談にのったことがあったんです。その知人から、アメリカで禅宗と日本建築を研究しているポール・ディスコさんという建築家の方を紹介していただいて。このイエールプロジェクトはそのポールさんからのオファーによるものです。日本の禅宗って簡単に言えばムダなものを省いてシンプルに生きるという考え方で、それがアメリカの富裕層の中でとても共感されているようなんです。アメリカで禅宗と言えばスティーブジョブズが有名ですが、話をくださったポールさんもスティーブジョブズと同じ先生から学んでいたと言っていました。彼自身は京都に来て宮大工の修行をしたのち、アメリカに帰国して日本建築の美と禅を広めている方で、今回のプロジェクトはポールさんとギャラリーの館長さんのジャックさんによって立ち上げられたとのことです。

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▲瓦で屋根をおおうことを瓦を葺くと言う。写真はイエール大学でも使用した一文字軒瓦。一文字軒瓦は事前に瓦の寸法を調整する合端という作業が必要。合端作業後、屋根に上がり設計図面をベースに取り付けを行う

――日本の瓦職人の代表として一ノ瀬さんがそのプロジェクトに参加されたわけですね。

奇跡的な縁で指名を頂いて本当に光栄でした。自分には留学経験があったのでそういう経験が今回のオファーに繋がたのかもしれません。それとプロジェクトを達成する上でも海外生活の経験が生きたと思います。現地では本当に色んなことがありました。瓦の到着が遅れたり、用意しておいてくれるはずの副資材がまったく調達されていなかったり、極めつけは図面ではまっすぐだった塀がカーブしていたり。相談できる人も泣きつく人もいないし、現実を受け入れて開き直るしかなかったですね。他にも日本での打ち合わせでは出なかったのに、完成セレモニーがあるからそれまでに終わらせてくれなどのリクエストもありました。施工について理解されないことも苦労の一つで、ようやく待望の瓦が到着し、作業に取り掛かりつつも最初の作業は「合端」という瓦一枚一枚の加工作業をしなければならなくて。これが地味な作業なんですね。相手は到着したらすぐに瓦が屋根に載ると思っていたのでイライラするわけです。今回のプロジェクトで一番大事な作業である合端という作業の重要性がまったく理解されず、あいつはいったい何日瓦をいじってるんだ、本当に技術がある職人なのかと冷たい視線に晒されるように…。

――誰も知らない異国でだんだん居ずらくなってきますね。

はい。自分でもこのままではいけないなと感じていたのでいろいろ考えました。こだわりと柔軟性のバランスみたいなものを。プライドやこだわりって言っていてもここは日本ではないので、少しアメリカ流にすることも必要なのではないかと。それで当初の予定を変更して合端の作業を中断して、まず一面の取り付けをしてみんなに見てもらうことにしました。そして瓦が美しく整然と並ぶ姿が見えたその日、ついに現地スタッフの方々からファンタスティック!ビューティフル!アメージング!と感動の言葉をいただいたんです。
そのとき日本人とアメリカ人のモノの見せ方・見え方が違うと思ったんですね。日本人の見せ方や見え方って精神的な要素から入ると思うんです。とにかく細部に至るまで美しさにこだわるというか。美しい完成に至るまでのプロセスが全て計算されていて、そのプロセスに真摯に向き合う精神性を大事にするというか。でもこれは伝える側と受け取る側に様々な共通認識があって初めて成立すると思うんです。誰の目から見ても瓦は瓦なんですが、アメリカ人はまず結果を求め、日本人は見えないこだわりを持っている。

瓦が美しく並ぶ姿を見て感動したスタッフ達は、初めて合端作業に興味を持ちました。こんな綺麗に瓦が並ぶ理由はあいつがやってる謎の作業にあるに違いない。当初、とにかく早くしろというノリだったんですが、お客さんを連れてきては、毎日嬉しそうに合端の重要性を説くようになり。これをきっかけに彼は日本のアーティストだと紹介してくれるようになりました。

――なるほどですね、どんな想いを抱きながら作業されていたんですか。

まずは自分が完璧だと思える仕事をしたいという事ですね。職人なのでそれに尽きますが、その先を言えば、自分の作品を毎日見る方々がそれを美しく感じ、「うちにはkawaraをつかった日本の建築があるんだよ!」と伝えたくなるようなものをと思いました。彼らの反応を見てそれが多くの人に伝わり、kawaraを通して日本人の美感や精神性、いわゆる世界がみる日本を感じてくれたらと思います。特にいぶし銀という色は、前に出過ぎず、後ろに下がり過ぎず、日本人をそのまま表したような美しい銀色で、日本建築の佇まいを通してそれらを少しでも感じてくれたんじゃないかなと思います。アメリカの名門大学に、凛として背筋が伸びるような日本建築の姿があると思うだけでワクワクしませんか。

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|海外の反応で再確認した瓦の魅力と大きく乖離する日本での現状

――家業を終わらせられない責任感で始まった一ノ瀬さん。kawaraをもっと伝えるためにスタートした瓦の素材をつかったプロダクトicci KAWARA PRODUCTS はいつ頃にスタートしたのですか?

オンラインで販売がスタートしたのは2016年6月ですが、2015年に行われたイェール大学のJapanese Tea Gate Projectの際には既にicciの企画は動いていました。現地スタッフに大量に持って行ったサンプルのコースターをプレゼントしましたが大変喜ばれました。

――ではicci KAWARA PRODUCTSは今後どんな風に広めて伝えていくのでしょうか。

そもそも「瓦」という言葉が伝統っていうキーワードと一緒にちらほら出ている時点で危機だと思っているんです。昔から瓦を使って家を建ててきたし、今も建てられる方がいるわけですから、普遍的に存在するものというスタイルでないと。でもその実情を受け止めて、背中に危機感を持って違うアプローチをやらなくちゃいけないのも事実で。そのあたりの考えから新しい切り口としてicciがスタートしました。
「日本のヒトカケラを屋根の上からテノヒラの上に」。icciのコンセプトですが、今まで屋根の上にあった瓦を、手のひらの上で身近に感じて欲しいという思いです。いぶし銀という言葉は一人歩きしているのに、本物の美しいいぶし銀をほとんどの人は知りません。この銀色は和の空間だけではなく、アメリカンビンテージ家具やヨーロピアンアンティークにもすっと溶け込むんです。瓦のあるライフスタイルを提案して、瓦がクールなものだと知ってもらえた後、瓦の本質に興味を持ってもらえたらと思います。日本の美しい景観を守ってきた本来の瓦にです。まずは見せる、そして本質を掘り下げてもらう。イエールのプロジェクトと似てますね。
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▲今まで手に取ることはできなかったけど、小さい頃から目にしている身近なもの「瓦」。kawara productは現代の生活にフィットする懐かしさと新しさになっている


icci 代表 / kawaraクリエイター  一ノ瀬靖博

1976年生まれ。1998年に一ノ瀬瓦工業の五代目として入社。瓦葺職人として家業を受け継ぐ傍ら「瓦はアートになる」という想いから2007年にイタリア、2008年にオーストラリアへ短期留学しアートや語学を学ぶ。現在は瓦の魅力を世界に伝えるためicci KAWARA PRODUCTSをスタートし「屋根の上からテノヒラの上に」をコンセプトに手のひらに収まる形でプロダクトを提案している。瓦業界を支えるべく全国各地への瓦探訪から屋根工事のプロとしての生活記事まで、自らの豊富な経験とともに発信し続けている。http://icci-kawaraproducts.com/