木や紙を芯として、塗り重ねられる、漆のうつわ。
日本の伝統工芸と言えば、一番に「漆」を思い浮かぶ方も多いのではないでしょうか。

 漆とは、ウルシ科のウルシノキから採取される樹液のこと。硬く固まる性質をたよりに陶磁器の金継ぎ素材としても重宝する素材です。つまり漆を使うためには、その中身の「芯(しん)」となる何かを必要とするのが、いままでの漆工芸のかたちでした。

 「接着剤」や「塗装」の役割で発展した漆を用い、他に芯となる何かを使わず、漆自身を芯とする漆100%のうつわを作った職人がいます。彼はなぜ漆100%の工芸に行き着いたのか。今回のインタビューでは、漆への情熱にあふれた武藤久由さんのものづくりに迫ります。

 

▲従来の芯を利用した製法ではなく、漆100パーセントで艶やかな表情を実現させた「thin」

 

漆職人の父を継ぐか就職するか 

 

―武藤さんが漆職人になろうと思ったきっかけはなんですか?

 子どもの頃から漆職人として仕事する父の姿を、身近に見てきました。わたしは長男でもあり、うすうす「家業を継ぐんだろうな」とは思っていました。

けれど、高校を卒業する際、進路の話になっても父親は「漆塗りの家業を告げ」とは言いません。かえって「違う世界もあるだろうから、大学に行きたいならばいけばいい」と。それで大学の理系学部に進んだんです。

 進学して大学3年生になったときは、バブル景気が終わりかけていたものの、就職はまだまだ売り手市場の状態。電気工学科を専攻していたので、電気メーカーを就職先にえらぶ友人が多かったのですが、最終的には会社の福利厚生で比べるなんて声もありました。

 わたし自身は、そんな風に仕事をえらんでいいのかなという迷いがありました。頭の片隅には家業のこともありましたし。とは言え、それまで夏休みの手伝い程度しかしていなかったので漆の扱いも深く知りません。こんな迷いもあって、大学に入ってからほとんど足を運ばなかった実家へ帰ってみようと思ったんですね。

 愛知の実家にもどったときは、事前に連絡もしなかったので当然誰もいませんでした。ただ父親が塗った仏壇の壁板が立てかけてありました。それを改めてみたら、やっぱりきれいだなぁと感動してしまって…。父親は名古屋仏壇で広く知られる職人でしたし、心からきれいだなと思える父親の漆の板を見て、「もったいない。これを継ごう」と決心しました。

 

―塗りたての一枚の壁板を見て、その感動がきっかけになったんですね。

漆の仕事に就きたいことを父に話すと、特に表情も変えずに、そうかといった感じでした。ですが、母親のほうは猛反対。父のそばにいて、大変な伝統工芸の世界を現実的に知っていたんだと思います。

 

▲武藤仏壇漆工の工房がある愛知県弥富市五之三町。工房のまわりは穏やかでゆったりとした田園風景が広がる。

 

▲下地の作業を行う土間に面した漆塗りの部屋。一部工房は建て替えたが、武藤さんの希望もあり古い建材も残っている。塗りたての板をたて掛けた襖もそのひとつだ。

 

武藤さんが足を踏み入れた名古屋仏壇の世界

 

 

―全国各地に仏壇の産地がありますが、名古屋仏壇にはどのような特徴があるのでしょうか?

名古屋仏壇は伝統的工芸品に指定されている15の仏壇のひとつで、仏壇は宗派と異なり地域それぞれ特徴があります。名古屋仏壇は全国的に見ても比較的大きいサイズの仏壇で、豪華な飾り金具と台の部分が高い構造。この辺は木曽三川の下流で昔は洪水が多い地域だったことから、仏壇の台を高くして、水がたとえ家の中に入ったとしても下部はつくりなおして上部を守るという風に作られているんです。

 

―漆塗りに関しては、地域特有の塗り方があるのでしょうか。

名古屋仏壇で多いのは、金箔を粉にしたものを塗り込む「箔まき塗り」といった地域独特のかわった手法です。名古屋仏壇は、塗りというより金具に豪華さに特長があり、漆はその縁の下の力持ち的な存在になるんです。そのため仏壇の基本的な塗りに関しては、下地を施して黒く塗るというようなことをせず、黒子的な存在に徹するのが普通ですね。

―そもそも、仏壇はどのくらいの期間で作り上げるものなのですか?

今はだんだんお仏壇のサイズも小さくなってきて、仏壇にかける予算や大きさや場所も縮小してきました。なので半年から1年といった感じです。昔は近くに住むおばあちゃんから「どうなっとる~?」と声があったり、お客さんも仏壇が出来上がることを楽しみにしてつくっていたんですよ。

木地が完成してから、すぐに漆塗りの工程に入らず、乾燥させる時間をじゅうぶんに置いて、ゆっくりと2年くらいかけて大きい仏壇をつくっていましたね。

 

失敗をすべて経験と考えるようにした修行のとき

 

―いざ職人としての道を選択し、どんな修行時代を武藤さんは過ごしたのでしょうか。

高校卒業してすぐにこの仕事につかなかったこともあり、振り返ると早くからいろんなことをやらせてくれる環境がありました。はじめの2年間は漆の土台となる下地塗りを行い、3年目からは半年に1回のペースで漆塗りをするようになりました。

自分では完璧に下地ができるようになった!と思っていたのですが、漆を塗ると下地の粗がよくみえるんです。早くからやらせてくれたのは、その仕上がりを自分でわかったほうがいいと父は思ったんだと思います。

 

 

何度漆塗りをしても合格をもらえず、やり直しのために僕の塗った板を、父が研石で研ぐんです 。研ぐとは、下地を落としてもとの状態にもどす行為です。父が仕上がりをみて、研石で板にやり直しの印がつくたびに、またダメかあ…と。

漆塗りは身体で覚えなければならないので、精神的にとても辛い日々。内心、父親に代わってくれと思っていましたが「いくらでも研ぐから、塗り続けろ」と。歯がゆく、申し訳ない気持ちがいっぱいでした。

打開できないことから、パターンを変えて取り組む経験ができると思うことにしようと、失敗をすべて経験と考えるように変わりました。

この考え方は今にも繋がっていて、変わったことにトライするとき同じように考えています。

 

▲現在は世界的なプロダクトデザイナー、マーク・ニューソン氏がデザインした日本刀「aikuchi」の漆塗りに関わる。こちらは刀の鞘部分。

 

漆が綺麗にみえる表現は何か。

これまでになかった100%漆の「thin」が生まれた理由

 

―そんな名古屋仏壇を塗っていた武藤さんから、漆100%のプロダクト「thin」はどんなきっかけで生まれたのですか?

修行を積んで独立し10年くらいまで、「父は腕が良いけど息子はダメだ」と言われないようにとプレッシャーを感じていました。ですが、だんだんと肩の荷が下りてきて、漆をもっと広めたいという気持ちが自分の中で生まれてきたんです。

自分がお酒が好きだから漆の酒器をつくったり、あらゆるものに漆を塗ってみたりと、日常の中で実験を繰り返すようになりました。

 

▲葡萄の房に塗った漆。黒い漆を全体に塗り先端は赤く施している。マットな質感が生まれる石も時間をかけて乾燥させ様子をみる。

▲武藤さん作の「手まり箱と漆の酒器」。これらは麻布生地を芯として使い、焼き物のような美しい揺らぎを敢えて出す。「漆はとても柔軟で、かたちに寄り添った美しさがある」と武藤さん。

 

そもそも漆自体は艶で塗るというより、もともと接着材や防水材の用途で使われはじめているんですね。漆の木の汁を木のおわんに塗ったら防水加工ができたとか、船底に塗ったらフジツボがつかないだとか。下地塗りの材料にも、砥の粉と漆を使い、接着剤の役割なんです。漆は精製技術が高まり、塗れる状態の漆が作れるようになってから、加飾として塗料に用途が移動してきました。

 

―武藤さんは何かがないと塗れないと言う漆の存在から脱却したいと考えられたんですね。

そうなんです。漆の質感は、凛としているけどやさしい。何か受け入れてくれる包容力みたいな魅力も感じていて、漆が綺麗にみえる表現は何か、追求するようになりました。

そんなとき、ちょうど子供が持っていたゼリーのプラスチックカップの型に目がいき、カップの内側に漆を塗り重ねて剥がす実験をしてみました。逆転の発想で剥離する素材のことを考えていたら、芯のない漆「thin」が生まれたんです。

 

 

―芯を必要としていた漆から、100パーセント漆のプロダクトが生まれたんですね。thinのデザインや持ち手のようなボコボコっとしたかたちは、どのように考えていらっしゃるのでしょうか。

ボコボコっとしている部分は光が曲面にあたると反射の屈折が美しいので、光の当たり具合を考えて形づくっています。漆は透漆(すきうるし)と言い、もともと透明な飴色なんです。

あと仏壇の框には、角の縁部分に漆が溜まらないよう、すっきりと塗られた美しい線があるのですが、仏壇の塗りで感じたその漆の美しさがすごく好きで、thinも厚さ1㎜という線の細さをいかした繊細なデザインに繋がっています。

 

 

漆職人 武藤久由 

1969年愛知県生まれ。大学卒業後、家業の名古屋仏壇の塗り職人の道へ進む。2005年から仏壇以外の漆作品の制作にも興味を持ち、翌年よりイベント出展を始める。2012年以降、漆単体でのものづくりを追求し、素地を持たない芯のない独自の漆技法を発明。漆100%でつくられた厚さ1㎜の酒器「thin」を商品化。漆の魅力を伝えるために、誰もがやったことのない漆の在り方に挑戦し続けている。Instagram : urushi610  

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