身体になじみやすく、強度ある鹿革を使った“印伝の小物”がいま静かに注目を集めています。

ぽってりとした立体模様が特徴の印伝は、鹿革の上に漆付けが施された工芸品。

古くから暮らしの中に取り入れられて、江戸時代後期に活躍の作家、十返舎一九の「東海道中膝栗毛」でも“印伝の巾着”と登場した生活用品です。

江戸時代では様々な地域で製造されたと伝わる印伝ですが、現在まで製法が伝わっているのは甲州印伝のみ。伝統の技を知るために甲州へ向かうと、山梨産の鹿皮を生み出す挑戦がありました。

いまの時代の必需品を目指す、伝統工芸の世界。根源からの出発を試みる理由について、印伝職人の山本裕輔さんにお話をうかがいました。

 

 

――家業である印伝の仕事を継がれたのはいつ頃ですか。

僕は12年の程前の22歳の時に、伝統工芸士の父から家業を継ぎました。中学2年の時に印伝の職人になろうと決心し、その実現のために高校と大学の選択をし、卒業後に印伝の仕事に就いたという感じですね。

 

――若くして決断されたのですね、伝統工芸の職人になろうと思ったきっかけはなんですか?

シンプルな理由ですが、父が伝統工芸士の資格を得たとき、“伝統工芸士”という言葉の響きに魅力を感じました。昔から図画工作、プラモデルなどのものづくりが好きだった部分はありますが、武士がかっこいいだとか騎士がいいなどと同じように幼心に漠然と何かに憧れる、そんな感覚に近いものでした。

 

 

――家業を継いだ後、職人として独立するまでの期間はどのくらいでしたか。

僕の場合は2年の期間で基礎を習得して独り立ちをしました。学生の頃から販売の手伝いはしていたので家業には長く携わっていますが、職人として独立するまでの期間は比較的早いかと思います。

印伝は、鹿革に漆付けを施すのがいちばんの勝負どころで、ちからを均等に保つことが製作の上で肝になります。筋肉のつき方など身体的な影響を受け、漆付けの方法には個人差があるんですね。僕の印伝職人としてのスタイルは父親の通りという訳でなく、最初は言われた通りにやってみましたが、その型に違和感があり上手くいかず、製作のスタイルを工夫しています。独立が早かった理由はそこにあたるかもしれません。

 

 

 

 

 

――伝統工芸の世界は、素人からみるとつくり方を変えられないものかと思いがちですが、応用できる部分もあるんですね。

甲州印伝の歴史をみると、ものづくりにおける定型の形はなく、伝統工芸品の中でも汎用性があり自由度が高いものでした。昔は鎧(よろい)や巾着などをつくっていましたが、財布や小物、カバンなど今は生活に合わせた多種多様にものをつくっています。

製作面においても鹿革を裁断してから漆をワンショットで塗るため、大きな生地面積が必要なものであるほど一回で漆を塗りきる技術が必要です。作るものに合わせて漆付けの方法も変わるため、やり方も自由度を高くしてしかるべきだと思っています。

 

 

 

 

――ところで、山本さんは山梨産鹿革での甲州印伝を試みるウルシナシカのプロジェクトに参画されています。この企画がスタートした理由はなんですか?

印伝の素材について考えたときに、漆は中国産で、革も中国から輸入をしている。技術は日本に伝わり長い歴史がありますが、素材をどうにか国産化できないものかと以前から思っていました。

しかし国産化できない大きなネックは資金面で、この問題に長く着手できませんでした。皮は供給できるよ、デザインも手伝える、などの声をもらうこともありましたが、量産性がないため販路を開拓できない問題があり、革の加工の面で打開できず、一方ノウハウは溜まっていたので葛藤がありました。

そんなタイミングに山梨県工業技術センターの方から山梨県の政策として、獣害として駆除された鹿皮を有効利用できる施策をつくっていきたい、富士河口湖町の方で採れた鹿の皮がある、と話をもらいました。

 

 

――山梨県では獣害駆除しなくてはならないほど鹿が問題だと。

甲府など市街地以外に住む山梨県民にとっては、ニホンジカによって電車が止まったり、道路に出没して交通事故があったり、ネガティブなイメージが大きいですね。森林や農業被害にも影響を及ぼしています。

県としては伝統工芸の印伝に変えて、鹿を有効利用して欲しいという風に考え、うちとしては国産革で印伝つくりたいと意見の一致があり、ウルシナシカのプロジェクトがスタートしたのは3年前ですね。

じゃあ、さっそく国産の印伝の製作をやってみようとなったのですが、山梨産の鹿革を使い、漆を塗っても、漆が生地にのらないんです。引っ張ったら破れてしまう。国産の皮を求めていましたが、実際には全然使えるものではなかったんです。

 

――中国から輸入していた鹿革との違いとは?

中国は100年程前から皮革産業が盛んで、鹿革に限らず様々な動物の皮を鞣し(なめし)輸出をしていたため産業として成り立っていました。日本国内では需要をつくることができず、鹿を捕獲して鞣す、というのがあまり行われていません。

 

 

 

――国産皮を望んではいたけれども強度が足りない問題があった。そこからどのように突破していったのでしょうか。

 プロジェクトがスタートした際、鞣しの技術を高めることが国産革を使用するにあたりポイントとなりました。技術センターから引っ張りの強度を数値で出してもらい、僕は印伝に加工できる水準の情報を提供し、何度も皮の鞣しを繰り返し行いました。作業は富士河口湖町のほうで採れた鹿皮をすぐに鞣して送ってもらい、使えるかどうか判断するというものです。加工により漆が塗れる状態になったのが去年くらいでした。そこから詰めていき、今まで使っていた中国産の革に近いクオリティ、価格帯に到達できたんですね。

 

山梨県産鹿革で製作された「URUSHINASHIKA」のウォレットとカードケース。化学薬品を使わずに環境負荷の少ない鞣し技術によって加工している。

 

――山本さんが山梨産の印伝を目指す原動力となったことは何ですか。

 世の中にないものは販売に至るまでのいろんな理由があるわけで難しい。国産の皮を生み出すためにはクリアしなくてはいけない課題がありました。一方、よくお客様などにも実演や販売の際にこんなにも鹿が溢れているのに国産の鹿を使えばいいじゃないかと言われていました。

でも結局のところ、中国産のほうが質もいいし、値段も安いし、クオリティも良かったんです。だけれど、自分たちでコントロールできないということに以前から違和感を覚えていました。

 

――それは作り手としての原始的な欲求なのかもしれませんね。

 

やっぱり自分のつくるものは、自分の目の届く範囲内でコントロールしたい、というような気持ちがありました。自分が印伝職人であり、手をかけてつくっているものだからでしょうか。コントロールできるものもしかるべきだと思っています。

今回のプロジェクトで国内産でなく山梨県産の鹿革にこだわっている点も、山梨ならば鹿革のコントロールができるのが理由です。革の品質を自分で確かめたいと思ったら、猟師のかたに会って話せる。皮の剥ぎ方についても食用でなく革製品として使うからこんな風にお願いしたい、と話すことができる。流通までの入口部分と出口部分を両方知れるというのは、ものをつくる上で大事なことです。

すべて中国産を使用せずという考えではありませんが、今後も美しい印伝を伝えていくために、質の部分や製品の在り方についても考えて努めていきたいですね。

 

 

印伝職人 山本裕輔

1982年生まれ。有限会社 印伝の山本、代表取締役。幼い頃から職人に憧れ印伝の道へ。その情熱はいまも変わらず日夜印伝における表現のリサーチや研究を行う。山梨県内での印伝製作4社の中でもコラボ商品の企画、製作を積極的に行い、新たな客層へのアプローチを重視しているのが印伝の山本だ。日本で唯一、甲州印傳伝統工芸士(総合部門)の資格を持つ父とともに、きめ細かい心配りで甲州印傳の伝統技術を守り続ける。http://www.yamamoto-inden.com/