Interview with a leading creator vol.10
Jun Nakagawa/Nakagawa Masashichi Shoten,13th Generation
トップクリエイター・インタビュー vol.10
中川 淳(中川政七商店 十三代代表)
 
Photo_Yasuhiko Roppongi/Text&Edit_Nao Omori
 
 
日本各地に連綿と受け継がれるモノづくりの伝統と技術。REAL JAPAN PROJECTでは、それを日本のみならず世界へ向けて発信するべくさまざまな活動を行っています。ここでは、国内はもとより、世界を舞台に第一線で活躍をされているクリエイターの方々をお招きし、ご自身の活動や日本のモノづくりについてインタビュー。第10回目のゲストは、享保元年(1716年)創業、奈良県にある麻織物の老舗中川政治七商店十三代代表・中川淳さんです。
 
――中川さんは大学をご卒業された後、富士通株式会社に入社し、家業である約300年の歴史をもつ株式会社中川政七商店へ入られたわけですが、それまで”伝統工芸”に対してどのような印象を抱いていらっしゃいましたか?
 
正直、全く興味がなかったので、何も意識したことはなかったんです。父は家で仕事の話をしない人でしたし、家業として伝統工芸にまつわる商売をやっているということも、あまりよく分かっていませんでした。学生の頃は、母が「遊 中川」本店でギャラリーのようなことを行っている時代だったので、独立間もない赤木明登さんの個展などを開催していて、晩御飯をご一緒させていただいたりもしましたが、だからといって漆に興味がわいた、というわけでもなく。中川政七商店に入るときも、父には「やめておけ」と言われましたし。父がやっていたのは主にお茶道具なんですね。お茶の世界は、今後縮んでいくスピードが速いか遅いかの違いで、明るい展望はないと。だからこそ、そういう業界にあえて入らなくてもいいんじゃないか、といのがひとつあったみたいです。
 
――中川政七商店で”ブランディング”に注力した戦略を行われてきたわけですが、”ブランディング”を意識されるようになったきっかけをお聞かせください。
 
布ものを扱うメーカーなので、商品をつくり、タグが付いていれば”ブランド”になっている気持ちになりがちなんですけど、本当の意味での”ブランド”に全然なっていないんですね。百貨店でも少しお取り扱いいただいていたのですが、”一ブランド”というより”一商品”。他社製品と混ぜて並べられてしまいますし、セール時期にはひどい扱いを受けていたりする。そんな現状を目の当たりにして「世の中的には”ブランド”として認識されていないんだな」と感じたんです。僕が経営という立場で何ができるかと考えた時に、”商品に下駄を履かせる”ことができるかなと。例えば「遊 中川」なら「遊 中川」とついていることによって、商品をより優位な位置でスタートさせることができる。それこそ”ブランディング”なのだと思いました。経営者としてできること、デザインのできない人間としてできるアプローチとして、やりはじめたんですね。
 
――中小企業がブランディングを行ううえで、大切なことは何でしょうか?
 
マーケティングの中の一手法としてのブランディング、という言い方もあるんですけど、マーケティングとブランディングは全く別のモノだと思っているんです。何が起点であるかの違いで、マーケティングは市場起点なんですね。市場を俯瞰した時に、どこか穴があって、それはビジネスチャンスになって、そこに対しブランドを当て込んでいけばそれなりに売れるんじゃないか、という市場からスタートするのがマーケティング。僕らのいっているブランディングは”市場スタート”ではなく”自分たちスタート”なんですよ。自分たちが、何をやりたいか、何ができるか、何をするべきか、というところをひたすら掘り下げて、核となる部分を見つけ、それを商品というカタチに落とし込み、世に出していく。それがブランディング。だから起点が違うんです。僕らがコンサルティングで入っても、まずそこから掘り下げていくし、本当は何がやりたいのかを聞いていきます。そういうことを最初に聞くと、だいたいきれいごとをいうんですけど、きれいごとではなく、ホントのホントのホントの奥の方にあるやりたいことはみんな違うはずなので、それを探し当てる。探し当てることができなかったとしても、探し当てようとしながら、物事を組み立てていく。それが必要だと思っています。
 
――最初にコンサルティングで入られ、立ち上げたブランドHASAMIの馬場匡平さんも、始めは本心を隠し、しばらくたってから「本当は映画館がやりたい」と告白されたそうですね。
 
時代がナチュラル全盛だったので、自分は好きでもないのに最初は「ああいうものをやりたい」ってウソをついていたんですね。僕らもそれまで付き合いがなかったので、本当の想いが分からずに「そういうものがやりたいんだ」って思って、その方向にひたすら進んでいたんです。でも3ヶ月くらいしてから「実はそれはそんなにやりたくない」って言い出して。そんな匡平くんの気持ちも分かるんですけどね。世の中をみて、これが売れそうだな、それに合わせていったらいいんだろうな、と感じてしまうことは。でもだんだん「中川がいっているのはそういうことじゃないんだ」ってことに気づいてくれて「じゃあ何がやりたいの?」と聞いたときに、「そんなに陶器はやりたくない」というところから始まって。もともと彼はアパレル出身ということもあり、ファッションに関連することや、映画館をつくりたいとか、コミュニティに興味があるということが分かったんですね。でも、それでいいんですよ。そこに繋げていくために、陶器とどう結び付けていくかを考えることがブランディングだと思うので。現状でやれることから、道をつくっていくんです。それで益子にあるスターネットさんをお伺いすることにしました。ここは益子という焼き物の産地で、焼き物の世界にとどまることなく、ひとつのコミュニティというカタチが形成されている。こういうことも可能なんだよ、と現場をみせることで、匡平くんの立場に置き換えて考えてもらう。波佐見町に映画館をつくる、というゴールを設定し、そこに向かっていまやるべきことを組み立てていくという流れのスタートとして出来上がったのが、HASAMIなんです。
 
――色使いやデザインも、これまでの波佐見焼のイメージとは異なる仕上がりでとても素敵です。
 
そうなんですよね。あれは匡平くんがやりたいことが素直にカタチとなって生まれたものなんです。波佐見焼は白が多く、色がついたものがないからそこに当て込んでいった、というわけではないんですよ。これが流行っているからこれが売れそう、と当て込んでいけるほどみんなうまくできないし、かつそんなに大きなパイはいらないんですね。たとえそれがマニアックだったとしても、自分たちが好きなことをやっていればそこに対する共感は少なからず得ることができる。100億円にはならないかもしれないけれど、小さな会社なので3000万円でもいいわけです。そう思うと、好きなことをやっているのがだいたいよくて、誰のやりたいことでもないこと、合議で決まるようなことというのが一番よくない。そこを折れずにやることかな。
 
――HASAMIのプロダクトからも、関わった方々の”好き”という想いがとても強く感じられました。
 
HASAMIも当初は「こんなのB品だ。色のムラはあるし、色のたまりもあるし、商品にならない」など、ずいぶん言われました。でも産地の人から言わせるとそうなんです。一般の消費者感覚でいうとそこが”味”になるんですけど、その範囲が分からなかったりするんでしょうね。あとは「波佐見焼は白であることが特徴なのに、あのような色は波佐見焼とはいわない」という意見もありました。しかし波佐見町で生まれ育った人間が、波佐見町でHASAMIをつくっているわけですから、それは波佐見焼に違いないんです。”らしさ”というのは表面的なものでなく、作り手の”アイデンティティ”みたいなものなので、外部はうるさい、と思いながらやっていますけどね。
 
――そのような産地の方による風当たりはHASAMIのヒットにより変わってきましたか?
 
関わっている方たちは喜んでくれていますね。でも、周りからマークされるようになっていますし、”なんちゃってHASAMI“みたいなものもたくさん出てきているんです。工芸全般にいえることなのですが、そういうモラルは低いんですよ。すぐにコピー商品が出回るようになる。HASAMIに似せたデザインで少し安い製品が出たからといって、売れるわけではないんです。それは”モノ売り”の感覚から抜け切れていないんですね。いいモノをちょっとでも安くつくったら売れるんじゃないか、という感覚だからみんなコピーをするんですけど、コピーすべきところはそこではない。本来は”ブランドをつくるまでの組み立て”をコピーしなければならないんです。”モノを売る”感覚から”ブランドをつくる”感覚へと、シフトしていかなければならないんですね。
 
――中川政七商店の「日本の伝統工芸を元気にする!」というビジョンに対する数字目標として、「10年で地域の一番星を20社作る」と掲げていらっしゃいますが、その過程の中にいるいまだから見えてきたこと、についてお聞かせください。
 
HASAMIをやるときは本当に必死でしたし、自分たちの方法論もそれほど確立したものではなかったんです。コンサルティングを行っていくなかである程度確立はしてきていますが、ケースバイケースで全て違うんですね。大筋はもちろん変わりませんが、一定の方法論なんていうのはなかなかない。HASAMIでいうと匡平くんでしたし、結局は相手によるんです。彼の成長=HASAMIの成長であり、売り上げに繋がっていくので、ある意味”家庭教師”なんだと思っています。中小企業の浮沈なんて経営者にかかっているので、経営者がしっかりするかしないかに左右される。僕が呼ばれるのは会社の状況をよくするため、長期的にみるとそれは経営者をよくすることなので、彼らの”家庭教師”なんですね。しかし僕自身も成功させなきゃいけないと思うから、つい自分でやってしまうんですが、僕がやってはダメなんです。みなさんHASAMIをみているから余計に期待されるんですけど、僕は魔法使いでもなんでもないですし、お手伝いをするだけ。実際に行動におこすのはメーカーの方ご自身なんですね。
 
――コンサルティングをスタートされるうえで、まず最初にどんなことを行われるのですか?
 
手順でいうと、まず決算書を見ることから始めていきます。そこがいわゆる地方のモノづくりのメーカーのフォローに入られる方たちとの大きな違いだと思いますね。何がどうよくなったかというのは、決算書に反映されないとよくなったうちに入らない。僕が中川政七商店で10年かけてやってきたことを当てはめていくだけなので、半年から1年くらいで行えるんです。新ブランドがうまくいくかどうか、商品が売れるかどうかというのは、どうしても当たりはずれがあるので正直100%とはいえませんが、仕組み自体をよくすることは100発100中。絶対によくなるので、それさえしっかりしていればたいしてモノが売れなくでも黒にはなります。
 
――ブランディングや新しい商品をつくるための土台作りをしっかり行うことが、何より重要だということですね。
 
そう、いまはどうしてもそれを行う前に、違うことを期待されてしまっているんです。とても地道なことなので、それよりもこっち、みたいなことになってしまう。もちろんできているところも多いですし、アドバイスしたらできる方たちもいるのですが、僕の意識としてですね。土台がしっかりしていないと、上に何を積み上げてもどうしようもないので。HASAMIをはじめ、今回の大日本市(※1)でも新ブランドを発表していますし、”新ブランド立ち上げ屋さん”みたいにみえてしまっているところがあるのかもしれないですね。でも僕は新ブランドを立ち上げることが、必ずしも答えだとは思っていないんです。リスクも高いですし、経営の面をもう少ししっかりするだけで、実は新ブランドなんて必要ない場合もあると考えています。
 
――なるほど。では今回の大日本市で発表された新ブランドについてお伺いします。まずは「carpetroom」。こちらはユーモアに溢れたとてもユニークなウェブサイトですね。
 
ここはプロダクトではなく、ウェブサイトを通じて”絨毯のある生活がどれだけ素晴らしいか”を訴求する啓蒙活動です。大日本市でも、お客さんをつかまえて必死に説明していますよ(笑)。いま新築住宅の99.9%がフローリングなんですね。それをひっくり返すには”絨毯=アレルギーに悪い”という間違った認識を覆すしかない。実際にそれは大きな誤解で、北欧の幼稚園では絨毯が敷かれているように、絨毯の方がアレルギーになりにくいという研究結果があるんです。なぜか日本では間違った認識が何十年も通っているので、それを逆転させていく作業ですね。アレルギーの権威とされる先生とも面談をして、その方に「もう少し補強すれば十分学会でも発表できるので、学会で発表します」といっていただけたので、大きな一歩を踏み出しました。流れは確実に変わります。住宅展示場などでもリアルカーペットルームをつくってもらい、啓蒙活動を行いつつウェブへと引き込んでいく。リアルな営業活動をさまざまな場所で展開し、受け皿となる「carpetroom」で正しい知識をもってもらって、カーペットを選択肢のひとつに入れてもらう、という壮大な計画なんです。
 
――では次に「包丁工房タダフサ」についてお聞かせください。
 
金物の街といわれる新潟県三条市の包丁メーカーです。僕が入ったときに800種類以上の包丁があったんですね。でも、一般的に包丁は家庭で使われるわけなので、800もの種類は何の意味ももたない。なのでそこのコミュニケーションをなんとかしなければ、と考えました。一般の主婦がふつうに使えるものをつきつめると、2本でいいよねって。基本として万能包丁大・小の2本+パン切りを加えて3本。次の1本というスタイルで4種類を用意して、計7本で十分事足りるというラインナップです。また、包丁の世界は男性デザイナーがほとんどだったのですが、使用されるのは主婦が多いので女性デザイナーがいいなと思い、柴田文江さんにお願いしました。特にパン切りの切れ味は抜群ですよ。
 
――「BAGWORKS Co.,Ltd」から発表されるのはどんなプロダクトなのでしょうか?
 
ここは業務用バッグをOEMでつくっているところなんです。例えば、ヤクルトレディやメナードレディがもつバッグもあれば、”税関検査員が船の上で税関検査をするときに必要なキットを持ち運ぶための鞄”とか、”人工心臓を運ぶためのバッテリーをいれるためのケース”とか、そういうマニアックな業務用のバッグをOEMでつくっている企業。ただそういうときは、税務署や医療関係の方といったバッグをつくるのが専門でない方たちがオーダーされるので、全てウェブで調べて発注されるそうなんですね。それは運も左右されるので、受注として安定しない。なのでウェブで検索されたときに上位にきて、会社に対する安心感を感じてもらえるような見え方をつくらなければならないんです。そのために知名度は圧倒的に重要ですし、信頼感を会社全体としていかにみせていくか、ということが肝になります。幸いISOを取得されてたりだとか、社長さんがとても丁寧だったりだとか、信頼に足りるような要素はたくさんあったので、まず一般向けに商品をつくり、知名度の向上を図ろうと思いました。彼らのところには、過去につくられた数百もの業務用バッグが情報とともにきれいに整理されているんですね。そこにはわりとお宝が眠っていて、それをベースにしながら一般向けにアレンジしたバッグを展開していくことにしました。”しごとのかばん”をテーマに、第一弾がミルクマン、ポストマン、ワイヤーマン。牛乳配達員、郵便配達員、電気工事技師です。ワイヤーマンというのは、アーカイブにあった”電気工事技師がワイヤーを背中のリュックにいれて電柱にのぼるためのバッグ”というのがとても面白かったので、その原型をほぼアレンジせずにつくりあげました。モスグリーンの色も上と下で若干異なるんです。というのも、下は強度が求められるのでぶ厚い6号帆布、上は軽い方がいいので10号帆布なんですが、過去につくったとき、それぞれ違うメーカーから取り寄せていて、素材を合わせたら微妙に色が違ったという……。でもそれが逆にすごくよくて、社長は「色は揃えられますよ」と仰ったんですけど、「いや、そのままでいです!」って(笑)。ワイヤーマンなんて言葉も本当はないんですけど、全て”―マン”にしようと思っているんです。
 
――面白いですね。”業務用”という響きだけでも魅かれてしまいます。「comment?」はどんなブランドなのかお教えください。
 
comment?」をつくっているのは、江戸小紋、いわゆる染物の下請け工場です。”技術”というのは、ブランドになりにくいんですよ。なぜかというと、ここはバッグ、ストール、ネクタイ、名刺入れなど、染めでできるさまざまなモノをつくっているんですね。自分たちの技術をいかそうとするとこうなるのですが、お客さんからするとばらついていて、印象に残らない。竺仙さんも”浴衣の竺仙”で覚えられているんですけど、実際は染物屋さん。でも誰も”染めの竺仙”とはいわなくて、”浴衣”というアイテムがあったからこそ、消費者に認識された。だから技術屋さんは”技術”で売ってもブランドになりえないんです。「このストールいいよね」とは思うけれど、「このストールの、この染めがいいよね」とは思わない。だからこの廣瀬染工場さんでは江戸小紋の技術をいかして「comment?」というストール専門ブランドを立ち上げることにしました。江戸小紋は、町人が華美な装飾を身に着けることが禁じられた江戸時代、それでもお洒落をしたいという想いのもとにあみだされた技法なんですね。遠くからみたら分からないけれど、実は細かい染めが施されているというもの。そんな江戸小紋の真髄に通じるようなブランドになっています。江戸小紋という技術名すら沈め、調べてみるとそうだったんだ、と分かる見え方になるように。ファッションブランドの顔をした伝統工芸ですね。江戸小紋の精神性をストールで表現しています。
 
――2011年秋よりスタートされたプロジェクト「シンケン」についてもお聞かせください。中川さん、Discover Japan編集長の高橋俊宏さん、methodの山田遊さん、丸若屋の丸若裕俊さんという豪華なメンバーで構成されていらっしゃいますね。
 
僕自身がコンサルティングを行っていくなかで、やはり足りないところってどうしてもあるんです。もちろん全部やれるんですけど、自分の中で強い、弱いといった分野がある。例えばふつうに購入できる価格帯のものは得意なんですけど、20万30万といった高価なものや美術系になってくると得意ではないんですよ。じゃあ誰が得意かと考えた時に浮かんだのが丸若さん。お店はつくれるけど本職ではない、そこで山田さん。伝統工芸自体を業界として正しく伝えるためのPRツールとして雑誌が必要だと思い、高橋さん。弱いと感じる部分が強い方たちをスカウトし、構成されたメンバーなんです。これだけの人がいれば弱いところはないので、どんな案件でもやれるなと思いますね。僕が経営から立て直すパターンもあれば、経営はしっかりしている、モノもしっかりしている、というパターンもある。そういうことも含めて、最初の切り分けは難しいんです。世の中の人からすると、僕に頼むべき案件、山田さんに頼むべき案件、丸若さんに頼むべき案件というのはきっと分からないんですよ。でも僕からすると全然違う。それを僕が切り分けて、最適な体勢を整え、取り組んでいくというのがシンケンです。いまやっているのが新潟県のニットメーカー。これは4人で入っていて、新ブランドの立ち上げをやっています。雪国のニットメーカーらしいモノができています。2月のroomsでお披露目する予定です。お楽しみに……!
 
――とても楽しみなブランドですね。では最後に、HASAMIの馬場さんに読んでおくべき本をご提案されたそうですが、ブランディングを行いたいと考えている中小企業の方々におすすめする本をお教えください。
 
僕の書いた『奈良の小さな会社が表参道ヒルズに店を出すまでの道のり。』(日経BP社)がもちろんおすすめなんですけど(笑)。それ以外ですと、村尾隆介さんの『小さな会社のブランド戦略』(PHP研究所)が一番いいんじゃないかな。ちょうど僕が本を出した少し前にこの本がでていて、書き終わった後にこの本を読んだんですね。そしたら「一緒のこと書いているじゃないか」って。それで村尾さんに手紙を出して、お会いしてから仲良くさせていただいています。僕の考えと最も近い方だと思いますね。ブランドという言葉にはいろんな解釈があって、大いに誤解を招いているんですよ。それをまず正しく掴んでもらうためには、こういった本が必要だと思っています。
 
――ありがとうございました。
 
 
日本×歴史×品質×ブランドを兼ね備えた伝統工芸メーカーによる雑貨・ファッション・インテリアなどの、小売店バイヤー、プレス関係者へ向けた展示会。東京会場は2012年2月7日(火)から2月10日(金)まで、有明フロンティアで開催される。
 
 
【プロフィール】
中川 淳
Jun Nakagawa
 
1974年生まれ。京都大学法学部卒業後、2000年富士通株式会社入社。2002年に株式会社中川政七商店に入社し、常務取締役として「遊 中川」の直営店出店を加速させ、日本初の伝統工芸をベースにしたSPA業態を確立する。また2003年に新ブランド「粋更kisara」を自ら立上げ、2006年には表参道ヒルズにフラッグシップショップをオープン。2008年に十三代社長に就任。「日本の伝統工芸を元気にする!」というビジョンの下、業界特化型の経営コンサルティング事業を開始。初クライアントである長崎県波佐見町の陶磁器メーカー有限会社マルヒロでは2010年6月に新ブランド「HASAMI」を立ち上げ空前の大ヒットとなる。「中小企業ブランディング」などをテーマに、経営者・デザイナー向けセミナーや大学での講演歴も多数あり。著書に「奈良の小さな会社が表参道ヒルズに店を出すまでの道のり。」「ブランドのはじめかた」(日経BP社)。