Interview with a leading creator vol.6
Tatsuya Matsui/Robot Designer
 
トップクリエイター・インタビュー vol.6
フラワー・ロボティクス 松井龍哉(ロボットデザイナー)
 
Photo_Yasuhiko Roppongi  Text&Edit_Nao Omori
 
日本各地に連綿と受け継がれるモノづくりの伝統と技術。REAL JAPAN PROJECTでは、それを日本のみならず世界へ向けて発信するべくさまざまな活動を行っています。ここでは、日本には国内はもとより、世界を舞台に第一線で活躍をされているクリエイターの方々をお招きし、ご自身の活動や日本のものづくりについてインタビュー。第6回目のゲストは、次世代の日本を担うといわれるロボット産業を幅広い視点で捉え、世界中から注目を集めているロボットデザイナー、フラワー・ロボティクス代表の松井龍哉さんです。
 
――松井さんがモノづくりを志したきっかけは、小学4年生のころ、ご自宅の改築の際にご自身の部屋をつくってくれた大工さんとの出会いだったそうですね。松井さんのスケッチ通りに机や棚まで仕上げていくのをみて、とても憧れたとうかがいました。そこから、どのような経緯で、”ロボットデザイナー”になろうと思われたのですか。
 
僕の世代だと、ロボットとかアニメとかみんな好きで、僕も好きな方だったんですね。小学校4年生のころは身近に科学者がいなかったので、「大工さんだったらロボットも作れるのかな」と思っていたんです。そのころからモノをクリエイティブすることって面白いなと感じていて、6年生のときに”デザイナー”という職業があることを知り、デザイナーに興味をもつようになりました。
 
――”大工さん”ではなく、”デザイナー”だと。
 
アイデアそのものを考えるのが面白いなと思っていました。中学生になっても、やはり自分で勉強するしかないので、図書館でデザインの本を読んだり、外国のグラフィックデザインの本を買って読んでいたり、図面の書き方を真似してみたり、そういうことばかりしていましたね。科目も数学と美術以外はあまり興味がなくて、自分の好きなことだけを勉強している中学生でした。
 
――数学と美術、それぞれ両極端な位置に属している科目のような印象があります。
 
数学は答えが必ずひとつしかないので、どうやったら簡単にその答えに辿りつけるか、というプロセスが美しいなと。美術は逆に自分で答えを見つけてしまえば、誰がなんといってもそれが正しいということになる。誰に教えてもらうわけでもないし、ある意味、自分探しというか、”真実の追求”のような感じがしたんですね。極端ですけど、そこが面白かったんです。その後、高校はデザインの学校に進学しました。進学先は日大芸術学部へいく付属高校ですので、バウハウスからの教育を学んで、デザインの基礎を勉強していました。クリエイティブな事に興味範囲は広かったですがPOPアートが好きな美術系の高校生でしたね。
 
――大学では何を専攻されていたんですか。
 
主にコミュニケーションデザインを学んでいました。高校生の時にシステムデザインみたいなものに興味が沸いてきました。それは高校時代にデザイン事務所で働く機会があったんですけど、ある焼酎のボトルのデザイン製作の現場に行きました。そのデザインが完成して、工場で量産され、商品となって酒屋さんに並んでいるのをみたとき、「ものすごく、すごいことなんだな」と感じました。手掛けたデザインが日本中に流通し、TVコマーシャルが流れ、それを体感したときに、単純にモノをつくるのではなくて、視覚や感覚を含めた全体を纏っているモノとしてひとつにまとめていくのはとても面白いなと思ったんです。もうひとつ、あるガソリン会社のブランディングをする仕事の際、ロゴをはじめすべてのデザインが出来るまでをつぶさに研修したんです。それである日、日本中のそのガソリンスタンドのロゴやユニフォームが全部変わって、「デザインというのは個人のクリエイションだけでなく、社会全体のコミュニケーションシステムだな」と意識するようになりました。大学へ入ったらこういうことを勉強したい、と思ったんです。大学では、プロダクトやビジュアルコミュニケーション、ショップのデザイン、サイン計画や都市のイメージ作りなど、そういった総合的なデザインの構想法を自分なりに研究し、それはとても面白いと思っていました。
 
――卒業後は丹下健三・都市・建築設計研究所に入られたんですよね。
 
設計事務所だけど研究所のような感じで、いろいろやらせていただきました。モダニズム、基礎的な思考、職能、方法論、美意識、芸術家の生き様にいたるまで丹下健三先生から直接学んだ事は今の自分のデザイナーとしての背骨のようになっています。丹下先生のところには5年在籍させていただきました。仕事で丹下先生の作品集を編集している時にふと先生から「建築は物理的に体験できる人が限られるからほとんどの人はメディアを介した二次的経験からが建築理解への起点となっている事が多い」と言われた事があります。すごく印象的な言葉でした。ちょうどそのころ、コンピュータというのがキーワードになっていて、すごく好きだったので一人で勉強をしていたんですね。建築は都市においてある種の構造体になるのですが、その中を動いているのは人であり情報なんです。だから都市でも建築でも物事でも全体を大きく把握するためには、そこに動いている情報をデザインとして取り入れていかなければならない。”コンピュータ”や”ネットワーク”というものを、生活の中にどうとらえ共存していくか。まだウェブなどはなかった時代ですが、「僕の世代はまじめにコンピュータの存在意義を勉強をしないといけないんじゃないか」と思っていました。
 
――そしてフランスへ留学されるわけですね。向こうでは何を学ばれていたのですか。
 
コンピュータとデザイン、マルチメディアについて勉強をしていましたね。プログラムを覚えずっと研究していたんですけど、「やはり社会に貢献しないとデザインじゃないな」と思って、それで仕事としてプログラムからインターフェースなどのデザインをすることにしました。そこではウェブ用のシステムなどをつくっていたのですが、なんだかイマイチ面白くないなと。子供のとき好きだった数学のような、ある意味ひとりよがりな完全主義者のようにはなれるのですが、美術でいうところの”クリエイション”や”リアリティ”がいまひとつ感じられなかったんです。実際の”リアリティ”をもったもの。空間と情報化社会が密接になったものが21世紀には主流になってくるのではないか、と。その時に、”ロボット”という言葉に出会うんですね。とても懐かしくて新しい響きがそこにはありました。当時、人工知能というのが注目されはじめていて、それはちょうどIBMのディープ・ブルーというスーパーコンピュータが、人間のチェスのチャンピオンに勝った時期なんです。人間に勝つというのは、コンピュータサイエンスにとってものすごく大きな目標でした。それが達成されたとき、次の目標が必要になってきたんです。目で見ただけの認識で様子を予想することはできるのですが、実際に動いているときにいろいろな発見があって、どう対応したかによって、人間の知性はついてくる。そこで人間のボディにコンピュータという人工知能をもったロボットの開発が、次のグランドプロジェクトとしてもてはやされた頃でした。このとき、モノはフィジカルにあるのですが、さまざまな環境から情報をひろい、何か行動をするということは、空間のデザインとモノのデザインと情報のデザインを一体化できる新しいデザインの分野として、21世紀のデザイン分野がつくれるんじゃないかな、と思ったんです。
 
――その時の想いが、いま、松井さんが作られているロボットに繋がるんですね。
 
はい。とはいっても、ロボットはすごく複雑なものなので、そんなに簡単につくれるものじゃない。なので日本のロボットの研究所に入って研究に参加したいなと漠然と思っていました。そして世界的な科学者でロボカップ提唱者の北野宏明博士が研究リーダーを務める科学技術庁の外郭研究所に運良く参加させていただきく機会を得ました。ロボット工学は勉強していないので、デザイナーとして志願したら受け入れてくれることになったんです。北野プロジェクトはとても肯定的な空気に溢れ、真新しい事が始まるというエネルギーに満ちていましたね。最初は研究者の方の論文のビジュアル面のデザインワークのお手伝いから始まりロボットのデザインを担当させていただけるようになりました。それからロボットデザイン研究に3年ほど精力的に取り組みました。北野博士のもとで、10年分の経験はさせていただいたと思っています。そこで優秀な研究者や仲間と出会い10年前にフラワー・ロボティクスを立ち上げました。その頃、スーパーコンピュータのベンダー日本SGI社から企業のイメージにあうロボット開発の依頼を受け、SGI社の未来を映すロボットの姿と私達フラワー・ロボティクス社でこれから目指す理想的なロボットのコンセプトを構想しデザインを始めました。それがロボット「Posy」です。
 
――松井さんのつくられるロボットは、幼いころにイメージしていたものとは異なり、どれもしなやかで凛とした美しさを纏っているように感じます。ロボットをデザインするうえで、どんなことを意識されていらっしゃいますか。
 
テクノロジーが人間のシーンのなかでどのように使われるのか、というところから設計に入るので、それにふさわしい技術や機能を探すわけです。そしてそれに見合った構造体を設計し、もっとも相応しい形相を探し、徹底してシンプルにする。力学をうまくみせるというか、構造体を一番きれいにみせるという視点から入ると、だんだんこれまでのロボットたちのようになってくるんです。僕はデザイナーとしてはモダニストですから。
 
――マネキン型ロボット「Palette」は、人間に反応し、動くことによって洋服をもっとも美しく魅せるポーズをとるというものですが、開発の経緯をお聞かせください。
 
21世紀は、ロボットも研究の段階から日本が輸出できる新しい産業へ発展させるべきだと思っていました。ロボットというのは、日本人が得意とする細かい作業が必要とされますし、とても日本的なテーマなんですね。研究からベンチャー企業にし、”製品”としてロボットをつくって、販売・流通というところまで行おうとすると、総合的にデザインを考えなければならない。例えばあるロボットをつくるとなると、開発するためには生産性のある理由が必要です。”人が購買する”という、存在理由ですね。美しさは存在理由から生まれます。当時は青山に事務所があったのですが、洋服屋さんがたくさんあるんです。どのお店にもいるマネキンには人工知能などはないんですけど、社会にひとつだけ役に立っている。”洋服をきちんと見せる”という、仕事をね。これはマネキンの中にロボットのシステムを入れたら、プロダクトとして成り立つんじゃないか、というのがもともとの発想です。そんなとき、表参道にルイ・ヴィトンができるというのでこのアイデアを提案して、作らせてもらったのが最初ですね。そこから今年で8年目くらい、ようやくビジネスとしてまわってきています。
 
――松井さんは、海外でもさまざまお仕事をされていらっしゃいますが、日本的な美を意識されることはありますか。
 
特にない、というか、日本で生まれて日本で育っていますので、かっこよくいうと”無我の境地”までいけばね、日本人だからこそ日本人の仕事、となるんじゃないかと思っています。ただ、僕はデザインの仕事というのは、自分でできるところはほんの少しで、あとはやはりチームワーク。国内外のプロジェクトでいろんなメンバーと一緒に仕事をしていくと、自分は日本人というのがすごく分かりますね。そして日本の職人さん、とくに町工場のモノづくりのレベルというのは、素晴らしい。技術立国日本を支えてきたのは、秋葉原と大田区の技術力が担って来た部分は大きいと思ってます。沢山のエグザンプルがありますが、例えばアルミの削り出しひとつとっても、日本の職人さんの削りは、とても上手で丁寧でいいですね。達観した言い方ですが、日本のモノづくりの原点というか美意識は、なんとなく伊勢神宮にあるような気がしています。職人さんがモノをつくっているときって、そこに神様がいて、神様と対話をしていると感じます。その極みが、伊勢神宮にあるのかなと。伊勢神宮は、世界最古のもっとも優れたレベルのデザインのシステムだと思っています。
 
――”モノづくり”という観点でいうと、日本の伝統工芸に対してはどのようなお考えをお持ちですか。
 
伝統工芸は、ローカリティの技術の伝承ですよね。ですので、これからますます重要になってくるんじゃないでしょうか。僕たちも、ロボットは東京から世界へ発信する伝統工芸品までいきたいな、と思っています。ロボットって最先端のイメージがありますけど、うちは、使われ方がはっきりしているのでシンプルでオーソドックスな工法で作っています。日本各地でパーツを設計してもらって、大田区でプロトタイプを組み上げたり、そこから量産用の設計などをしたり。先端というのは、伝統があっての現代性ですから。
 
――今後、つくっていきたいロボットについて教えてください。
 
「Palette」は、ファッションという非常に成熟した産業の中で機能するロボットなんですね。20世紀のデザインは機能主義に非常に重点をおいていたのですが、ロボットがただ歩くとか、笑うとか、そういう機能ではなくて、”どういう場所でどう使われるか”が必要な機能と考えるということですね。新しいロボットをデザインするという事は、機能と使われる環境を複合的に考える様相的な思考法が必要だと思っています。農業でも医療でもなんでもいいのですが、ある機能とそれが使われる環境全体をデザインする、ということです。そんなふうに、ロボットのデザインに携わっていこうと考えています。フラワー・ロボティクスのコンセプトは「DESIGN FROM TOKYO」。東京に暮らし、東京で生活をしているので、それをしっかりと表現していけば、それは世界から求められることになるんだと思うんです。
 
――22世紀入ると、ロボット産業は100年以上の歴史を育んできたということですよね。きっとその頃のロボットは、松井さんの仰る”東京の伝統工芸品”になっているんでしょうね。
 
なっているといいですね。昔のフェラーリなどは、今観るとほとんど工芸品ですし、今もそういう意識とプライドでフェラーリの工場のエンジニア達も作っている。ロボットは未来の東京の伝統工芸であり生活を支える産業であってほしいですね。
 
――ありがとうございました。
 
 
【プロフィール】
松井龍哉
Tatsuya Matsui
 
1969年東京生まれ。91年日本大学芸術学部卒業後、丹下健三・都市・建築・設計研究所を経て渡仏。科学技術振興事業団にてヒューマノイドロボット「PINO」などのデザインに携わる。2001年フラワー・ロボティクス社を設立。ヒューマノイドロボット「Posy」「Palette」などを自社開発する。「Palette」は09年より販売、レンタル開始。航空会社スターフライヤーのトータルデザイン、ダンヒル銀座本店店舗設計、KDDI「iida」のコンセプトモデル「Polaris」のデザイン・開発などがある。MoMA、ベネチアビエンナーレなど出展多数。iFデザイン賞、グッドデザイン賞など受賞多数。