伝統的な職人技が失われつつある現代において、日本のもの作りを新たな目線でプロデュースし、世界に発信し続けている人物がいます。

かつてエルメスのフランス本社で副社長を務めた齋藤峰明さんは、長いフランス生活で得た国際的な感覚を活かして、海外のライフスタイルに合うような日本の製品を発信しています。また、これまでにない裸足に最も近い履き心地のフットウェア「イグアナアイ『FS』」のブランドを立ち上げ、東京 青山に世界初の店舗をオープンさせました。

そんな齋藤さんに、デザインの本質とは何なのか、日本の職人技を次世代に伝えるために必要なことは何なのかについて語って頂きました。

 

いろんなことを知るために、

文化発信地であるフランスへ行こうと思いました。

 

――はじめに、齋藤さんはどんな理由で渡仏されたのでしょうか?

僕が10代を過ごした1960年代は、戦後の経済成長を経て、古い価値観が一新した時期でした。フランスの五月革命に代表される学生運動が世界中で起こり、もっと自由な精神解放が謳われていました。そのような中で、僕もドイツ哲学やフランスのカミュなどたくさんの本を読みました。これまでの既成概念を壊すようなことがさまざまな分野で行われていましたが、中でも自分自身が一番影響を受けたのがフランスだったのです。その頃は、日本も学生運動で騒然としていた時期で、自分の中ではそのまま何となく受験勉強をして大学に行くという感覚はありませんでした。まずは、いろんなことを知りたいという想いから、文化芸術の発信地であるフランスに行ってみようと思ったのです。

 

――実際にフランスへ渡り、どんな日々を過ごされていたのでしょうか?

最初は、フランスで何かをしようという明確な目的はなく、半年ほど様子を見ていました。でも、日本育ちの19歳の青年なんて海外に出ればチリみたいなもので、僕がいてもいなくても社会は普通に動いていたんです。誰とも関係のないところで、一人で生きていくというのは不可能で、社会の中で自分の居場所を見つけていく必要があることに気付かされました。そこで職業という概念の中で一人前になろうと、半年間フランス語を集中して勉強し直し、大学へ進学しました。そして、もともと興味のあったアートにおける批評や評論の勉強をスタートしたのですが、わずか3か月程でストライキが始まり、授業がなくなってしまいました。その頃は1ドル360円の時代で、フランスで生活すること自体が大変な中、授業がないのに何もしないわけにもいかず、働かざるを得ませんでした。そこからは、大学に行きながら授業料のためにアルバイトをするという生活を送っていましたね。

 

自分の生き方は、社会との関わりを通して

見つけていくもの。

 

――実際にフランスで生活してみて、価値観は変わりましたか?

ちょっと大げさに聞こえるかもしれませんが、どう生きようかと考えた時に、哲学のような礎になるものを得たいという想いで、フランスへ行きました。でも実際は、朝市で野菜を売っているおじさんやおばさんもすごくいい顔をしていて、存在感があり、みんな生きているんだということが見えてきました。それを目の当たりにした時に、どうやって生きようかと考えること自体が違うんじゃないかと思わされたんです。ボーヴォワールの本でも、「どう生きたらいいのかずっと探してきて、ふっと30歳になった時に、自分はもっと前から生きていたんだと気がついた」とありましたが、そういうことなんですよね。自分の生き方は、社会との関わりを通して見つけていくものなのだと。そのことに気がついてからは、自分には何ができるのかを考えながら、徐々にいろんなことをしていったというところですね。

 

作り手の精神を、使う人にきちんと伝えたい

という想いがありました。

 

――齋藤さんはのちに、フランスのエルメスに勤務されるわけですが、エルメスとの出会いや働き始めたきっかけ、経緯を教えて頂けますか?

大学に通いながらアルバイトをした後はパリ三越の駐在員になり、70、80年代はフランスの商品を日本へ紹介する仕事をしていました。あの頃は百貨店の黄金時代で、海外のライフスタイルを日本へ紹介するのが我々の役割でした。そこでデザイナーや職人がもの作りをしている現場を訪ね、つぶさに見て回りました。僕はアートをやりたかったということもあり、職人魂に触れられる仕事にすごく魅力を感じていました。ところが、百貨店では商品開発から日本に紹介するまでしかできず、お客様と直に接する機会がないというのが、自分ではなにか物足りなかったんですね。作り手の精神を、使う人にきちっと伝えたいという想いがあり、もの作りから、それが使われるまでの過程を見届けられる仕事に就きたいという想いが徐々に募っていきました。そんな折に、偶然にもエルメスから声が掛かったんです。エルメスは職人気質で、ライフスタイルを伝えるような素晴らしいブランドという認識があり、心惹かれました。ただ、勤務地が日本だと言われて一度は断ったんです。でも案内されて、実際に職人が働いている様子を見に行くと、誰もが生き生きとしていて気持ちが変わりました。そこで帰国を決意し、エルメスジャポンの運営に携わることにしたのです。

 

デザインというのは、思想を形にして

ものの本質に迫ること。

 

――日本とフランスのもの作りにおける違いはありましたか?

日本のエルメスで働き始めて最初に思ったのは、商品の価値をお客様にもっときちんと伝えていく必要があるということ。世界的に見ても、日本のもの作りは素晴らしい。エルメスに勝るとも劣らない、高い技術を持つ職人がたくさんいます。ただ残念なことに、質は高くても、現代のライフスタイルに合った商品を作れていないというのが現状です。その点エルメスは、常にライフスタイルの変化をいち早く感じとって、もの作りを変えてきたんですね。だからこそ、今でもお客様に支持されている。日本はもう一回マッチングをし直す必要があると感じていました。そういう中で、僕はエルメスの商品を提案しながら、日本人のものに対する精神性や大事に使う文化を、もう一回呼び起こす役割をずっと担っていた、そう自負しています。やはり使う人のレベルが高くならないと、商品は良くならない。もっと日本人にとっての幸せなライフスタイルがあるのではないかと、常々思いながら仕事をしてきました。

 

――そうしたエルメスでの経験があり、そこを離れてこのイグアナアイをプロデュースするに至った理由やきっかけなどを教えて頂けますか?

僕がエルメスを辞めようと準備していた時に、たまたま知人の紹介で、オリヴィエ・タコというフランス人デザイナーに会いました。そこで面白いものがあると見せられたのが、今とほとんど変わらない姿の「イグアナアイ『FS』」のサンプルでした。見た目もさることながら、履いてみて驚きましたね。これまでの靴の概念を覆すものでした。みんな裸足が一番気持ち良くて、靴を脱いだ時に開放感を感じるのは同じだと思います。そこで彼は、裸足の感覚を持ちつつ、実用にも耐え得るものはできないかと試行錯誤し、この形に行き着いたそうです。デザインというのは、単に形を綺麗にするだけではなく、ある思想を形にして、ものの本質に迫ることではないかと思っています。そういう意味で、まさにこれがデザインだと思いました。

 

 

「原始の目で、現代を見つめ直す」というコンセプトも素晴らしいですよね。このデザインを世の中に発信したいと思い、プロジェクトをスタートさせました。このフットウェアのような、本質的な喜びや人間的な喜びを与えるものを、もっと世の中に出していくべきだと思います。最近では、現代社会が我々にとって良い環境なのかどうかをみんなで考えましょうというコンセプトのもと、「アトリエ・イグアナアイ」というワークショップも開催しています。

 

日本の伝統技術を海外に伝えていく架け橋になりたい。

 

――現在はどんなことに力を入れられているのでしょうか?

僕はもうひとつの活動として、パリで「アトリエ・ブランマント」というギャラリーを運営しています。そこでは、日本の伝統技術を活かしたさまざまな分野の商品を展示販売しています。海外に日本の商品を紹介する時には、世界の人たちにどうアピールしていくのかを、きちんとマーケティング的な感覚のもとに考える必要があります。これまでの概念にとらわれず、新しい感覚でものを生み出していかなくてはいけませんが、日本人だと取捨選択が難しい。僕は長年の海外生活で得た欧米式の考え方などを活かし、日本の技術に根ざした商品をプロデュースしています。どうしたら海外の人に受け入れられる商品になるかということを、職人さんたちへ伝えることが大切だと思っています。後継者のいない職人さんが多く、伝統の技術を持った人がどんどんいなくなっていくわけですから、今やらないと手遅れになってしまいます。

 

職人と消費者の価値観を

マッチングさせることが大事です。

 

――日本のすばらしい伝統技術が受け継がれていないというのは、どのような点に原因があるのでしょうか?

日本の職人さんは工房にこもってしまい、世の中の動きがどうなっているかが分からないのではないでしょうか。もともと日本の産業は分業制であったため、作り手と消費者の間に大きな溝があり、消費者が何を考えているのかを知る機会がなかったのでしょう。商品が売れたというのは分かるかもしれませんが、なぜかが分からない。もちろん売れない理由も分からないから、商品を変えることもしないわけです。現代の生活とかけ離れた生活をしていて、世の中の動きを知る機会がなくなってしまっているんです。それに比べて、フランスの職人さんはごく普通の生活者と言えます。エルメスでも、バッグを作っている技術者は平均年齢が30代後半と若い。彼らは、時代の変化を敏感に感じながら働いているのです。

 

――最後に、日本のもの作りは今後どう進むべきなのでしょうか?

もの作りは、現代のライフスタイルに合わせるということが必要と感じています。ものの価値がどこにあるのかを見極め、職人と消費者の価値観をマッチングさせなければならない。技術力だけではなく、相手に訴えかける力がないと心は掴めません。特に、海外では人種や宗教も異なり価値観もさまざまです。ですから、日本の企業が世界に出て行く時には、品質にこだわるだけでなく、しっかりブランディングをして、世界の消費者の価値観に商品を合わせるということが重要になります。日本はグローバルな社会の中で、自分たちの新しい価値を見出すために、世界をもっと知るべきではないでしょうか。

 

 

齋藤 峰明

シーナリーインターナショナル代表。1952年静岡県生まれ。高校卒業後に渡仏し、パリ第一(パンテオン・ソルボンヌ)大学芸術学部卒業後、フランス三越に入社。パリ駐在所所長を経て、40歳でエルメス・インターナショナルに入社。エルメスジャポン社長に就任ののち、2008年よりフランス本社副社長を務め、2015年8月に退社。現職のほか、イグアナアイ総合プロデューサー、アトリエ・ブランマント(パリ)総合ディレクター、ライカカメラジャパン取締役、パリ商工会議所日仏経済交流委員会理事などを兼任。フランス共和国国家功労勲章シュヴァリエ叙勲。

http://www.iguaneye.jp

 

Text_Kaori Kawake(lefthands) Edit_Shigekazu Ohno(lefthands) Photo_Isamu Ito(lefthands)