日本の地域に根差した伝統工芸や家業ではなく、受け継がれてゆくデザインのかたちを知っていますか?
道具としての機能を果たし、シンプルさが当たり前の工業デザイン。そこには人間のために考えられた、使い勝手の良いデザインというかたちがあります。しかし、それだけでなく、豊かさのある生活がずっと続くようにと想いのこもったものづくりがあります。
ヨシタ手工業デザイン室は、柳宗理デザイン事務所から独立したプロダクトデザイナー吉田守孝さんのデザイン事務所。
プロダクトデザイナーは、製造方法、機能、構造、形、材料を考えます。
使い手を想像し、手で使うものだからこそ、「手で触れ五感に感じることを大切にしたい」「手を動かし素材との対話から気づき着想したい」という、ヨシタ手工業デザイン室の作り方があります。 
長く使って欲しいからこそ”使う感覚”を大事にしたものづくり。洗練されているのに使いやすく、どこかあたたかみがあってひとつずつ集めたくなる、そんなプロダクトを生み出しています。
ヨシタ手工業デザイン室の生活道具に迫りました。
 
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|実家の家業は九谷焼の上絵付け 
 
――吉田さんは、どんなきっかけでプロダクトデザイナーになろうと思われたのでしょうか?
 
明確に説明するのは難しいですが、大学進学の時に工業デザインを選んだわけなんですが、そこを選んだ動機は結構不純で。もともと高校生までは理系寄りだったんですが、実家の家業が九谷焼の上絵の絵付けしていて、美術や工芸はいつも家の中にありました。そして実家を継ぐ兄が金沢美術工芸大学に進んだので、「美大に行く」という道がわりと近くにあったのです。金沢美大に工業デザイン専攻というコースがあることは知っていたので、理系寄りの美術というイメージで自分には合っているかもしれないなと思い進学しました。でもその時点では進路はまだぼんやりしていたような気がします。大学に入ってみると、周りの仲間は車や家電のメーカーのデザイナーを目指していて、自分はそういうデザイナーになるイメージができなくてね。
僕の頃は金沢美大に柳宗理先生が客員教授として年に2回教えに来られていました。数日間滞在されて集中講義をされるのです。コルビュジェやバウハウスなどデザインの話もされるのですが、アフリカの民族のスライドを見せていただいたり民芸の話とかそういうのが多くて、すごく面白かった。そんなわけで柳宗理さんという人に興味は持っていたわけですが、自分がその人のところで学ぶなんて思っていたわけではなくて、たまたま4年生の時に柳事務所に欠員が出るという話がありました。夏休みに1ヶ月東京の事務所に研修に行かせてもらった事がきっかけで、そのまま入ることになりました。しっくりきてすごく良かったんですが、結構成り行きで決まったところはあります。
 
――なるほどですね。家業は美術系そして理系というところから、工業デザインの道へ行かれたのですね。当時、吉田さんはどういうものに興味があったのですか?
 
今思うとたいしたものに興味がないですね、皆が見ていたから、車とかですかね。エンジニアリングみたいなものとか興味がありましたね、あとはサイエンスとか。
30年前って今みたいに人の行き来も情報も、圧倒的に東京のほうがあって、金沢と比較してもしょうがないし、学校では地方は雑草の良さがあるなんて言われてやっていましたね。今より情報はとりにくいし、デザインの展示会なんて東京でしかほとんど展示会はなかったんですね。
 
 
|柳宗理氏とデザインスタッフ2人の時代
 
――柳工業デザイン研究会に当時デザイナーはどれくらいいたんでしょうか?
 
夏に研修に行ったとき在籍していたのは4人くらいで、春になって研究所に入ったら数年で先輩が独立して、同期のもう1人と僕の2名それと柳先生という状態にわりと早い段階でなりまして、その後15年くらいそんな感じですね。
 
――吉田さんが大学を卒業し、柳事務所に入ったとき、柳宗理氏は72歳。そこから、ステンレスケトルやキッチンツール、ステンレス片手鍋・両手鍋、パスタパン、鉄フライパン(佐藤商事)が生まれていくんですね。
 
柳先生とはちょうど50歳の年の差があって、普通だと中間管理職が何層かいるぐらいの年齢差ですが誰もいませんでした。尊敬できる先生ととても近いところで長い時間過ごせたのはとても幸せなことだったと今は思っています。20年前は先生も元気で本気で叱られましたし、いろんな意味で先生の素顔も、デザインに対して本気でぶつかっていく姿も見てきました。
それと柳事務所は先生の時間のリズムで進んでいきます。普通の社会よりゆったりと流れているんです。ものづくりに時間をかけさせてもらったなというのはとても思いますし、スタッフが少ないから、開発の最初から最後までかかわれたのが良かったと思いますね。デザインした製品の数は多くないと思いますが、発想の段階から製品もパッケージも考えて送り出し、その後も品質管理から改良にも関われとてもいい経験でした。
一番は、柳先生という人がいて、デザインするということだけでなく、そういうデザイナーの息の仕方というか、生き方をを近くで見れたのは大きいなと思いますね。
 
 
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 ▲吉田さんのご自宅にある台湾製の竹椅子。実用的で傾けるとキッズチェアになる
 
 
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|大きな理想と本質を突き詰めてものをつくり、
 それが受け入れられていくリアリティーを実際に感じた
 
柳先生自身は50年以上も何も変わらずに仕事をされていていたわけですが、僕が入った頃は、時代の流れの中で表に出て行くデザインの仕事がぐっと減っている時期でした。その間も先生は同じように仕事をされていました。「流行と戦うのが本当のデザイナーの仕事だ」「商業主義に流されてはいけない」という先生の考え方が、自分はそれが正しいと思いつつも、本当に現代社会に受け入れられるのか不安になるわけです。
でもその後の柳デザインの再評価、柳ブームがあって、商品が新たに世に出て、評価もされ、「ああ先生の考えは間違いではない」と肌で感じました。柳先生のデザイン思想と手法で製品を世に出す仕事に関わり、机上のデザイン論ではなく普遍的であることを身を持って知ることができました。
どうしても流行というものが世の中にはあって、市場に並ぶものは移り変わっていきます。でもその中でも30年、40年と評価が変わらないものがある。それが柳先生の仕事なんですね。そういうところを受け継いでいけたらいいなと思います。
 
 
――ヨシタ手工業デザイン室のプロダクトの多くは食まわりの道具だと思うんですが、台所用品をつくることについて詳しく聞かせていただけませんか。
 
柳事務所時代からでも台所用品には多く関わってきました。台所用品の良いところは、手で使う道具だということ、流行が少ないこと、仕様でどんどん変わっていく家電製品とは違って商品のスパンが長いところがいいと思います。ひとつひとつをじっくり検証して作っていくとどうしても提案から商品化まで長くかかってしまいます。それに見合うよう市場でも長く売れて欲しいと思っていました。商品のスパンが長いものとして、たとえばキッチン用品のビタクラフトとか欧米で20年30年続いているブランドがあります。「ああいうものを目標にしていかないなとダメだね」という話を開発当初からしていて、上手くいけば日本製のしっかりしたものがつくれるんじゃないかと考えていたわけなんです。
それは今も同じで、流行を追いかけずに素材の持ち味を生かし、用途に忠実に考えていけるところが好きです。それとやっぱり身体や暮らしと直接関わるところは人とモノの関係で普遍的なテーマに思え、取り組んでいて面白いと感じるところですね。
 
 
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▲手に馴染む金属材料をみつけたところから始まったヨシタ手工業デザイン室のステンレスラウンドバーシリーズ
 
 
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ラウンドバーシリーズは、もともとセンヌキビールバーというプロジェクトに参加しないかと友人のデザイナーに誘われて、センヌキを作ることになったんです。それで新潟の工場に相談に行ったらこんな素材があると言われて見せてもらったのが始まりです。本当は鋳物でつくろうとかいろいろ考えていたんですが、新潟でつくるんだったらやはりステンレス材だろうと。
水差しのハンドル材として使われていたラウンドバーは、ふちに丸みがあるからギュッと握る道具には使い勝手がいいんじゃないかとその場で思いました。こんな感じで曲げられますか?と、その場でスケッチを描いて渡して、そしたらとりあえず曲げてみたものを見せていただいて、いけそうだなと思い今の形に図面を書き直しました。
 
 
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▲金属の丸棒(写真左)をロール加工でつぶし、平たくすることでラウンドバーの部品に
丸い棒は規格品でいろんな種類があるんだそう
 
 
DSC_0604.jpg▲ベンダーという鉄板を曲げる設備を使用しカタチにする。これはベンダーを横からみた様子。
右奥にあるガイドが動いて、板材がガイドにより押し出され一定の位置で曲がる。
曲げる角度がストロークの深さによって変わり、このプログラムのくり返しによって形づく
 
 
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▲試作段階での様々なピーラー形状。握り心地や製造方法など色んな視点により詰めていき、ベストなものを考えていく

 
 
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 ▲吉田さんの作業場にあった試作品の模型。とにかくまず試作をする 
 
 
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▲日本酒を注ぐための徳利の模型。吉田さんがいま手がけている仕事のひとつ。製品は石膏等を使ってまず試作し、実際の状態をみてその後図面を引いて製作していく流れ。ひとつひとつ確認を重ねて、作り上げていく
 
 
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▲作業場はデザイン室というより実験室の雰囲気
 
―――仕事においていちばん気にかけていることについて教えていただけますか?
 
最近すごく思っているのは、自分に正直に、自分に対して嘘をつかないようにと思っています。
昔は意識してなかったっていうより、自分自身が本当にどう思っているのかっていうのを深く問い詰めて考えていなかった気がしていますね。柳事務所にいたときは、スタッフデザイナーでありクライアントと柳先生との調整役でもあったわけですが、自分でやり始めたら、振り返って納得できているのかどうかという点で、正直にやっています。あんまり周りに流されたくないというかね。逆に言えば自分の中の自分の声と対話するしか最後のジャッジはできないんです。
でもいろんな人が様々要望を持ってプロジェクトって成り立っていますから、思いの違いはできるだけ早めに共有して、迷惑はかけないように、ブレは最小限に留めたいと思ってやっています。
 
―――吉田さんが作りたいものというのを持っていらっしゃると思うんですが、作りたいものの変化はありますか?
 
つくりたいものっていうのは何かお茶碗を作りたいというよりも、まず材料があって、そこからイメージが膨らんでいくとか、その材料と関わりたい、そういう欲求が原動力になっているのはありますね。
 
―――なるほどですね。製品を見ていると洗練されているものなのに、道具として重厚なものを感じます。そういう重みのあるものは今日お話をお聞きしてこういう過程によってつくられていくんだなと分かりました。
 
ありがとうございます。今日話していたことと二重になるかもしれませんが、小さいときに親父が「家が火事になっても、焼き物は残るんだよね」ということを、僕に言い聞かせたくて言ったのか、それがものすごく記憶に残っています。その時は何が言いたいのかなと思いましたけど。
焼き物は、自分が死んでも残るという意味だとも思うんですね。作った人が死んでしまったあと100年、200年経っても焼き物は残っていく、そのときに評価にたえるものをつくりたい、つくらなければならなきゃだめなんだという風に思えて、それは仕事をするときにどこかで意識しているところはありますね。
 
 
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ヨシタ手工業デザイン室 吉田守孝
 
1965年、石川県小松市生まれ。金沢美術工芸大学工業デザイン科を卒業後、(財)柳工業デザイン研究会に入所。財)柳工業デザイン研究会所員として、佐藤商事(株)「柳宗理デザイン」シリーズのステンレス鍋、フライパン、キッチンツール、ストレーナー、カトラリー、包丁、耐熱ガラスボール等の製品デザインに関わる。
2011年12月にヨシタ手工業デザイン室を設立。セルフプロデュースにより、ステンレスラウンドバー素材を使用したキッチンツールや木製トレイ、コドモノコトプロジェクトのお茶碗とお椀「くーわん」と「ふーわん」のデザインを行う。暮らしの中での道具の立ち位置を深く掘り下げ、素材の良さを引出したデザインは、現代のプロダクトデザインとしても注目されている。http://www.yoshitadesign.com/