日本で唯一のガラスづくり伝統技法「ジャッパン吹き」を知っていますか? 

「ジャッパン吹き」は、副島硝子工業の一社のみが行っている二刀流と言われる製法。 
幻の技と言われており、ひとりの職人が両手で二本のガラス竿を扱い、成形していくのが特徴です。 この技術をたった2人の職人が、たすきを繋ぐように、昔からのつくり方を受け継ぎ支えています。 今回、リアルジャパンプロジェクトは佐賀県佐賀市内にある副島硝子工業へお伺いし、唯一無二の妖艶な硝子「肥前びーどろ」のルーツとその魅力に迫りました。
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▲宙吹きガラスの代表作であり、肥前びーどろで最も有名な酒器「ちろり」
 
 
 
 
|米どころ佐賀は九州唯一の日本酒文化
 
――肥前びーどろは佐賀市の重要無形文化財にも登録されていますが、いつ頃からつくられているガラスなのでしょうか?
 
会社としては明治36年創業、今年で113年目になります。佐賀のガラス文化の始まりとしては、最初に鍋島直正公(注1)というお殿様が嘉永五年(1852年)に理化学研究所をつくったんです。
その研究所の中にガラス窯があって、それが佐賀のガラス文化のスタートです。うちの会社の初代の人間が、研究所の番頭をやっていて技術を受け継いでいる点もあり、そこから考えると160年程の歴史があります。
この地区でガラス屋をやっているのは現在うち1軒のみで、県内で言ってもうちだけですね。
明治の頃はいくつかあったらしいのですが、昭和に入ると少なくなりました。なので、肥前びーどろ=副島硝子工業とイメージがありますが、県内にしかひろがっていないのが実情です。
 
 
注1:江戸時代末期の大名。第10代肥前国佐賀藩主。財政のを改革するため殖産興業をはかり、蘭学・英学を奨励、海外文明の移殖につとめた。
 
 
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――佐賀の家庭には一家にひとつ、びーどろの燗瓶があると聞いたことがあります。
 
今はどうか、そこまで大口はたたけませんけれど(笑)。昔は各家庭に、日本酒を飲む酒器の燗瓶があったと言われています。佐賀は九州の中でも日本酒の文化なんです。佐賀は米どころなので、日本酒がおいしいんですよ。七厘の上に燗瓶を置いて、燗づけをするんですね。昔はこれが各家庭にひとつあったと言われています。七厘がなければ、陶器の燗瓶と同じように湯銭かけて使っていただいて全く問題ないです。表面に水滴がたまってなければ電子レンジも使えます。
 
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▲副島硝子工業 営業の副島隆男さん。隆男さんの父である副島太郎さんが現在、三代目社長を務める
 
 
 
|深い藍色が特徴的な肥前びーどろ
 ”びーどろ”の語源はポルトガル語から!?
 
――びーどろと言えば美しいブルーが特徴ですが、青色の原料はなんですか?
 
硝子の原料は珪砂(注2)という石みたいなものです。その中に色の原料を青色だったらコバルトをメインで、赤ならばセレンを混ぜ合わせてつくっていきます。この肥前びーどろのメインになる青色は、基本的には昔から変わらない原料の調合です。
 
 
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▲徳利とお銚子が合わさったような形状の燗瓶。旨味が強いと言われる佐賀の日本酒にもマッチしそうだ
 
 
――是非お聞きしたいのですが、びーどろはなぜ「びーどろ」と言うのでしょうか?
 
ポルトガル語で「ガラス」を意味する「ビードロ(vidro)」の略などと言われています。少し謎な部分もあるんですけど、佐賀藩ってもともと福岡の黒田藩と交代で出島の警護をしていた背景があり、その関係でポルトガルやオランダの文献を手に入れやすかったらしいんです。その文献を元に学んで、理化学研究所をつくるときに参考にしていたのではないかと。その影響で佐賀藩が大砲をつくっていただとか化学技術が進んでいたと言われています。
 
 
――なるほどですね!肥前びーどろは海外との交易品であったりしたのでしょうか?
 
佐賀の硝子はもともと実用品だったんですね。なので豪華な薩摩切子などとは異なります。
うちでは小さいグラスなどは少し薄めにつくっていて、ぼてっとはしていないので、非常に飲みやすく、使いやすさがあります。
 
注2:花崗岩(かこうがん)などの風化で生じる。主に石英粒からなる砂。
 
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▲「水薬」を処方する際に使われる目盛り付きガラス瓶等も作られていた
 
 
|良いグラスは、「今夜この盃で飲もうか」という感覚になる
 
 
――最近よくみかけるカラフルな色合いの肥前びーどろ。これはどうやってつくるんでしょうか?
 
虹色グラスは簡単に言うと色の粒を挟んでいる感じです。透明なガラスのかたまりを竿にひっつけて、そのあと竿に色ガラスをコロコロと転がしてひっつけていって、もう一回透明なガラスを被せて吹くことによって出来上がります。虹色ガラスは、この3、4年前に商品化した人気商品です。
 
 
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――つくられている技法は、すべて宙吹きガラスなのでしょうか?
 
吹きガラスの種類は、型の中に入れて吹く作り方の「型吹き」と型に入れないつくり方の「宙吹き」の2種類ありますが、うちで作っているほとんどが宙吹きガラスです。
宙吹きの良さは、型を使わないので雰囲気としてとてもやわらかい表現ができるんですね。なんとなく優しい表情、言葉で上手く説明できないんですが、使っていると良さを必ず感じていただけると思います。
肥前びーどろは、いちばん原始的な作り方で、合理化せずにひとつひとつ作っています。それは贅沢な作り方と言いますか、どれも同じものはなく、手づくりならではの味わい深さを必ず感じていただけると思います。
 
 
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▲ずっと眺めたくなるような虹色ガラスは大切な方への思い出に残るプレゼントとしてつくられた
 
 
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▲淡い水色に銀箔をあしらいが美しい、銀彩千代口(アサギ)。艶やかなガラス工芸の世界だ
 
 
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▲吹き竿で膨らましながら、片方の竿で燗瓶の注ぎ口を成形する「ジャッパン吹き」技法
 
 
 
――肥前びーどろの職人は、今どのくらいいらっしゃるんでしょうか?
 
職人はふたりのみですね。ふたりとも30代の職人です。ひとりは今から20年程前に学生ながらもうちで硝子をやりたいと言って来てくれた職人がいるんですね。うちに入ったあとに途中、外の会社で硝子をやっていた時期もあるんですが。
定番商品となった虹色ガラスは、その職人が4年程前に結婚したんですけど、その際に結婚式の引き出物として自分のオリジナルで贈ったものなんです。ですがそのあとも参列の方から追加注文をどんどん頂いたんですね。それが長い間続き、止まらなかったので商品化したという経緯もあります。
 
もうひとりの職人は家業でやっている私の弟です。弟は倉敷の大学で硝子を学んで、今は戻って来て自ら肥前びーどろをつくっています。先代からの技術を受け継ぎ、ほんとうになんとか2人の職人のちからによって肥前びーどろを継承できています。
私は営業なので家業として続けていくこと、それには肥前びーどろをもっと沢山の方に知っていただけるように努力し、今後もしっかりと継いでいけるようにと思います。
 
 
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▲根気よく一心に取組む若き職人の姿が、佐賀の伝統文化をより魅力的に映し出していた
 
 
 
 
副島硝子工業 株式会社
 
嘉永五年(1852年)に鍋島藩主閑艘公(直正公)が、佐賀市多布施川流域に大砲鋳造のため、精錬方を置き、その一環として硝子器製造をも手掛けさせたのが、”肥前びーどろ”(佐賀びーどろ)。精錬方より明治36年に副島硝子工業所として独立し、昭和58年1月副島硝子工業株式会社設立。平成5年4月には、佐賀市重要無形文化財として肥前びーどろが指定される。代表の副島太郎氏は、肥前びーどろ3代目として継承。作家として多くの入選作品を持つ。